arcanum_jp’s blog

おっさんの日記

母の話。どぶろく。役所に見つかるかの住人の攻防

母は終戦が小学校1年とのことなので戦時中から戦後ちょっとした間だろう。母が小学生ぐらいの話。

今はもう作っていないが、この季節になると母は少量のどぶろくを作って家族で飲んだりしてたんだけど、自分もあの、酸っぱい酒の味は忘れられず。そう言えば酸っぱいからヨーグルトを少量入れると味が改善するって聞いて市販のヨーグルトの乳清を入れたら本当に酸っぱさがまろやかになってそれ以来ヨーグルトを入れるというのは必須になったなぁと。しかしヨーグルトを入れると味がどうしてもヨーグルトの味に似てしまうのがアレだった。

閑話休題。ここからが本題。

お酒に関して母が小学生頃の当時はゆるやかで、といってもどぶろくの話なんだけど。どぶろくなんて昔の農家はどこでも作っていて冬は普通に母もどぶろくを飲んでいたようだ。え?小学生ぐらいなのに?話を聞くと、喉が乾くと自分のお椀をどぶろくを貯蔵している亀に突っ込んでお椀一杯すくって、つるっと飲んでいたそうだ。そう、おいしい水代わりみたいなもんだっったんだろう。アガジべべ。そんな風に普通に作るものだったらしい。

ちなみに昔の農家なんてなんでも作っていて、空いた山あいの土地に蕎麦を栽培しては蕎麦を食べていたし、納豆なんかも自家製で作っていたようだ。ただし、売っているものとは違って納豆なんかは糸がひかずポロポロとしてたので食べて美味しいか?と言われるとまた別の話なんだそうだ。だから、お小遣いでもらった5円だか5銭だかで当時の豆腐屋さんに行って納豆買ってきて食べてたそうだ。(確か蕎麦1杯が母が高校のとき16円で先生に奢ってもらったと言っていたので5円だったのだろう)

また話が脱線した。ただし、それは表向き、酒は当時作ってはいけないものらしくどぶろくも例外ではなかった。時々官憲が抜き打ちで検査に来たそうだ。どぶろくつくっていないか?って。母の実家は山の上にあり、始めに狙われるのは山のふもと、、、その山のふもとにある家が検査されると回りでは騒ぐそうだ

どぶろく検査だぁぁ!」

村は騒然となり村の外にいたものたちは皆散っていく、そう、自分の家のどぶろくを守るために。

官憲は村の家々を順繰りにまわってどぶろくがあるか検査をしていく、当然はじめに書いた通りどぶろくなんてどこの家でもつくっていたから亀を家の前に引っ張りだされる。母の実家は村ハズレの山の上にあったのでそう言う状況を見ながら、はやく自分のうちも、、、そして通常家の裏手に置いてあるどぶろくの亀を大人が総出で裏山の上の方に持っていくそうだ。。。

かくして母の飲むどぶろくは守られた。

「日本史リブレット、破産者たちの中世」これは残された文書から見るサスペンス。歴史とはこんなに面白いんだな

 

破産者たちの中世 (日本史リブレット)

破産者たちの中世 (日本史リブレット)

 

 

 はじめにで書いてるが、中世の破産者(達)の末路を書いて喜ぶ本ではなく15世紀京都で起きた一つの裁判記録からの分析。

 

しょっぱなのこの一文でぼくのこころはかきみだされた!なんだつまんねぇじゃねぇか!もう買って手元にあるのに!

 

もっとも本書は、彼らの放蕩な生活ぶりとか惨めな末路とかを描こうというのではない。だから、そのような期待をもって本書を手にとられた読者には、おそらく期待はずれになろう。

 

しかもこうも言う。

 

また対象とする時代も、「中世」とは謳いながら直接には十五世紀京都で起きた一裁判を取り上げるにすぎない。この点でも読者の期待を裏切ることになるかもしれない。

 

しかしこの僕の残念感は良い意味で裏切られる事になる。この著者、こうなることを期待して書いていたのなら本当にすごいやつだな!

 

一見、債務者の了承無しで質流れを売れないなど債務者有利な中世の制度で債権者はなぜ金を貸す事ができるのか?また借金を回収できる何か?があるのではという本。 

 

はじめにこの本の元となった裁判についての記録から入る。足利義教時代の「御前落居記録」と呼ばれる裁判記録、72件の裁判記録なのだがその中の16項、尾張某が禅能なる人物に貸した返さない、いや返したの話で訴え出たなんの事はない訴訟の記録から債権譲渡の話へ発展する。

 

松梅院禅能(しょうばいいんぜんしゅう)なる人物が借りた借金が誰に返したが自分はその債権を譲渡されたから返していない。だから返せ。その債権の譲渡の道筋をたどるとA➡️B➡︎C➡︎Dと果てない。その中で禅能はここで返していると言う。質流れは勝手にできないが債権譲渡は普通に行われていた模様。

 

今でも債権は譲渡されるとどこに行ってどう返ってくるか分からないけど、この時代でも債権と言うのは貸した借りた本人たちから離れると話がややこしくなってしまう。しかし義教はその話の隙から嘘を見抜き、債権は譲渡されておらず個別の債権でまだ返してはいないと言う。と言うところで裁判の記録は終わる。そういうところ。面白いな。これサスペンスドラマでやったら面白い。

 

しかし本書の殆どはこの禅能なる人物の周辺の歴史を紐解き、この裁判が起きた事情へと続く。日本史の時間。この話が非常に面白い。松梅院禅能、北野社(北野天満宮のこと)が寵愛を受けた足利義持なる人物、父親は義満で一休さんと言えば僕らの世代はあぁあの時代かとなるだろう。この人物が死の間際に義教を後継に指定せず死んでしまったため、幕閣によるくじ引きで義教が将軍として決まった。

 

さぁ、前代未聞のくじ引きにより決められた義教は心穏やかでは無い。義持時代の全てが憎い!憎すぎて禅能を追いおとす。その中で裁判により禅能を追い詰める。裁判により借金を返す事となたわけだけど、その方法が所領の年貢から返していくと言うもの。なんだ生ぬるじゃぁねぇか?身ぐるみはいで簀巻きにして寒い中放り出してしまえ!とまでは言わないが思ってしまう。

 

この時代禅能などが運用資金としてお金を引き出すのは何も所領の年貢からだけではなく、土倉(どそう)と呼ばれるお金を貸す組織があったようだ。この土倉から借りた金を返さないと言うのが先の裁判。しかし本書によるとこの土倉、今の銀行顔負けの運用を行なっており、金主となる人は身内によるがっちり固めた形態から、見ず知らずの人から小口の金を集めて運用すると言う方法、まさにこれ今の「銀行」じゃねぇか!とか。

 

その土倉は本書の元になった、質物を勝手に売れないなど債務者有利な制度のなかどうやって金を回収していたのだろうか?それが本書のなるほどぉ・・・となる部分で、読むと面白い。

 

とりあえず間違いもあるかもだけど、メモっといた僕のツイート

 

 

日本史リブレット、近世村人のライフサイクル

 

近世村人のライフサイクル (日本史リブレット)

近世村人のライフサイクル (日本史リブレット)

 

 

あるとき本屋で腰いでぇ!とか思いながら徘徊していると、日本史リブレット特集と言うのが見えてきた。それには

 

「86巻「江戸時代の神社」で全101巻が完成しました」

 

とか書いてあり、意味わかんねぇ!86巻で101巻完成ってなんだよ!となりつつ何冊か読んでみるとおもしろそうだなと・・・で購入。今回の本のほかに3冊ほど購入してみた。

 

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 戦前戦後あたりの日本人への分析についての本を読んでると、自然にこの日本人の性質と言うのはいつからなのだろう?と言う疑問が沸くんですよね、大体は明治期に色々と西洋に承認されるために制度を作って変わったと言うところに行き着くのですが、そうするとじゃぁ、明治以前、江戸時代は大部分の日本人の感覚としてはどんなものだったのだろう?って。

 

例えば家長父性とか昔からの日本古来の家の形態だ!みたいに言われてたり、男は稼いできて女は家を守るみたいなアレです。本当にこれは日本古来からの伝統なのか?とか。大多数の日本人の先祖は江戸時代の大多数の農民なはずなのでこう言った村人の生活がどう言うものだったのか?を読めば日本人の明治以前の体質はわかってくるのじゃないかと。

 

近世っていつだろう?とか思いつつあぁ、近世、近世だよね。。。うん、、近世、、し、、知ってるさ、、、(汗)とググって安土桃山から江戸時代末期とのこと。フフ。。知ってたさ、、、(汗)となりつつ読んでた。

 

気になった部分では、水呑百姓であってもしたたかに権利を主張していたこと。この場合の権利とは、耕作地を優先的に利用する権利、またそれらは家として継承していく。この家と言うのが江戸時代の村(この場合は農村と言ってもいいと思う)において大事な役割を持っていた。

 

子育ては女性の役割か?これについても今とは全く異なる価値観。まず、子育て自体の責任はどこにあるか?というと、家長にある。

 

P27

婦人は理にくらくして子を養う道を知らず、うまいものを食わせたり、、中略、、育児を婦人任せにすることが戒められている。

 

これが明治期に、富国強兵といった政策面で社会的な要請があり、女性は良妻賢母、母性愛といった啓蒙で変わってくる。その辺は大日向雅美著の「母性愛神話の罠」という本に書いてある。結構この本も面白かった。

 

この家長の責任だが、一切の家の運営に関する責任があったようだ。先の子育て以外も農耕であったり老衰者の介護、、、しかしながら家長と言っても財産は先祖からの借り物であると言う認識。

 

家長は男子として村の運営にも関わる。そもそも子供の教育だが、それは成長の過程で年齢別の子供組、若者組などに加わり活動する事で村の運営を学んでいくことが中心だったようだ。また、役人からの伝達は文書ベースであったため、租税など直接自分に影響があるため、寺子屋が発達した。この中で、村内でのコミュニケーション、寺子屋という村を超えたネットワークでのコミュニケーションを覚えていく。これらが村の男子(特に長男)に課せられている。

 

家督相続についてはどうだったろうか?今の嫡子相続が普通であろうか?これも異なる価値観があったみたい。武家社会は直系男子相続が必須。しかし大多数を占める農村に至ってはそこまで徹底しておらず家の存続と租税が重要で女性当主、末子相続など多くの形態があった。これが明治期で直系男子以外認めないとなる 。

 

色々と今とは異なる価値観が見れて面白い本であった。このシリーズアタリかもしれないなと。

 

増補 母性愛神話の罠 (こころの科学叢書)

増補 母性愛神話の罠 (こころの科学叢書)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

https://twitter.com/arcanum_jp/status/1203825102552305664

「ケーキの切れない非行少年たち」を読んだ。彼らを笑えない、切ないなぁ

 

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

 

 

書店で何冊か本を抱え、意気揚々とレジに向かう僕、レジの横に山積みされていたのに目を奪われた、あぁ、そういえばTwitterで話題になったなぁ、あの図はなんとも衝撃で、色々とTwitter上でもネタにされてたっけ・・・どんな塀の中の人たちが読めるのだろうウキウキ(そこまでは無いが)と、購入。

 

著者が少年院で見てきた非行少年たちには少なからず、もともと認知機能の弱さ、融通の利かなさ、対人スキルの無さ、不適切な自己評価、身体的な不器用さ、など他の子にはない特徴を持っていたわけで、それらが原因で虐待を受けたり、いじめを受けてきたりと、学校の教育についていけなかったりと

 

そのような子供が小学校2年ぐらいからデキナイサインを出していたのだけれど、小学校はなんとかなっても中学になると中学校の壁で脱落、非行として噴出、事件となって現れ逮捕となる。それらの子は著者の診断では知的障害の境界で本来なら支援をうけた方が良い子などがいると言う。

 

それらの子は障害による行動が理解されず、家庭、学校の支援を受けられずに非行化して矯正施設に入ってもさらに理解されず、厳しい叱責を受け悪化する。社会に出ても理解されず仕事が続かず再非行に繋がるという負のスパイラルに入っている。

 

 以前読んだ「最貧困女子」でも同じような指摘があり、精神障害発達障害、知的障害などがあり、それらが元で親族、地域、行政との縁が切れている。そのため都会に出てきて性産業などに取り込まれていく。

 

少なからず日本の中にはそう行った精神障害の境界上の人たちがいて、本書ではだいたい人口の16%ぐらいはいると言う。16%って言うと色盲が全人口の5%程度だからその3倍はいるし、10人会ったら1人はそう言う方と言う計算となる。必死に隠しているか、本人も気づかないうちに社会に慣れているのだろう。実は自分もなのかも。こんな奴ら普通いねぇよって思ってしまうが、その普通はどこからくるものだろう。本来世界は危ういものなのかもしれない。

 

話題で読んでみたけど、全てがそういう少年たち、ではないのだろうけど子供を持つ身としてはちと切ないなあ、、という感想。彼らの少年院に来るパターンとしては先に書いたように負のスパイラルで逮捕されると言うもの。連鎖の中に入るともう個人では抜け出せない。その中で犯罪となり逮捕される。そのようなスパイラルに入らないように早くから救う社会的な仕組みが必要なのだろう。

 

逮捕は本人は気づかないかもしれないが、本来少年院はそのスパイラルから抜け出す希望、既にある社会的な仕組みなのだろう。ただし、少年院に入ったとしても、障害その他の頭の構造が反省以前なので気づけないが。

 

最後はこのような人たちや、この本を書くきっかけになった、刑務所にいる方々の経済的損失、その方々が1人でも多く普通の納税者になったら莫大な経済的効果であろうと締めているが、制度そのものは政治家を動かす必要がある。ただ、政治家は有権者(国民)の鏡だ。その国民がこう言うやつらは自己責任といった雰囲気が蔓延しているのでは、期待薄なのだろうなぁと。

 

 

 

 

 

 

 

最貧困女子 (幻冬舎新書)

最貧困女子 (幻冬舎新書)

 

 

 

 

 

 

 

 

「生き物の死にざま」人間から見ればちょっと切ないが当の生き物から見ればどうなんだろう

 

生き物の死にざま

生き物の死にざま

 

 

本屋で別の本を買いにカウンターに向かう最中にディスプレイしてあって、あぁ、なんか俺を呼んでいる、、、と購入。

 

生き物とは自分の子孫を残す、これに尽きるなぁと。本書の殆どは子孫を残す上での戦略、生き物の生体をもとに死に方を書く。当然その生き物たちは死に方を知っているとかそう言うのでは無いのだろうが、感情のある人間から見ればそれは、なんとも切ない死に方である。

 

人間から見ればその死に方は切なく、本当に幸せだったのか?と思えるようなものだが当の生き物から見ればそれはどういう事象なのだろうか。種が違えばやはりお互いに分かり合える事などないのである。

 

 

 

「菊と刀」を読んで。これは鋭い日本人分析

以前から読んでみたかったがなかなか買う機会がなかったので読んでみた。ちょい若い頃話題になったのが西洋は罪の文化で日本は恥の文化である、という視点で、あぁ、、なんか西洋を上にした未開の地、日本感なんだろうなぁと思っていた。

 

菊と刀 (平凡社ライブラリー)

菊と刀 (平凡社ライブラリー)

 

 

自分が読んだのは越智俊行、越智道雄訳で、日本での邦訳はもっと前にあったらしい。先の話題もその本に対するもので、試験か何かで使われてその話題だったのかな?初版が2013年っておかしいよなぁ、、どこの時空にきたんだろう?って思いながら読んでた。なんども翻訳されているのね、、納得。

 

日本人特有の「義理」や「恩」と言う感覚、今の時代にはすでになくなっていると感じる「其の所」という感覚。そう言ったものを分析し、日本人観を書く。基本的に日本は階級社会で、その階級内でいることに安心する、それが「其の所を得」と言う感覚。そして、本書では義理や恩と言った西洋人には理解しがたい感覚を、西洋人的に契約、金銭といったことから対比して分析している。これは面白い。

 

また、日本の忠孝と言った概念も説明しているが、この概念自体は中国からの輸入であるが、その上位概念である「仁」は日本に合わず輸入された時点でなくなっている。しかしヤクザなどの侠客(アウトロー)などに意味が異なったものとして定着していると説明している。確かにそう。

 

読んだ感想としては、日本という国を過去のドキュメント上からよくもここまで読み解くものだなぁという感想。西洋は罪の文化だが日本は恥の文化である(西洋は上位だと自負する)と言った議論は的外れである。日本人特有の行動パターンを分析した中の1つとして恥を極度に嫌うということ。

 

正直これは訳者あとがきでも書いていたけど、当事者の日本人にはここまで突っ込めないだろうと言う印象。日本人のあたりまえと感じて行動している時の感覚を説明しているのだから、当たり前の前提を日本人が説明する必要性を感じることもない。

 

心理学で行動分析学なんかは概要を説明すると、「なんだそんなの当たり前のことじゃん?」と反論される。その当たり前と感じる人間を含む動物の何気ない無意識下で行われる「あたりまえのこと」を理論体系化したのだから。ことさらそれをなぜ研究するか?と。本書も日本人の何気ない無意識下で行われる「あたりまえ」の事を書いている。

 

当然ながら戦中に日本人を分析するために、それまでのドキュメント、日系へのインタビューからの分析なので、戦後80年以上たった今の日本人にどこまで通じるか?と言うのはわからない。

 

其の所を得て、という感覚は先日読んだ「一揆の原理」と言う本でも同じような感覚が書いてあった。一揆は今の制度を打倒するものではなく、その時々の自分たちの権利を守るための労働争議のようなもの。其の所を守るために行われるもの。

 

ただ、本書で言われている感覚は多くは武家の感覚であろう。でもそういった今の日本人に強烈に刷り込まれている日本人観と言うのは明治期に列強においつくための制度として必要になり作られたものだ。その際、日本人を1つにまとめるために武家の生活を参考に作られたと本で読んだ事がある。家長父制、男が働いて女性は子供を育てる、色々とあるが。天皇への恩、義務と言う感覚も庶民が明治期に日本が劇的に変わる以前の江戸時代にあったのか?と言われると疑問になる。

 

だけど、以前読んだ「失敗の本質」という本でも感じたのだが、戦後日本人の気質は変わったかと言われると、どうも本質的には変わっていない。先ほど書いた「其の所」という感覚も根底にはまだあるのであろう。ただし、一揆のような今で言うデモなどは行われないようになったが。それらは自分たちは当たり前の事なので感じる事はないのだろうが。なので本書で言っている日本人の文化のパターン、気質も今の日本人に当てはめてもあながち間違ってはいないと思う。

 

 先の恥の文化、に対して感情的に半目するのはいいけど、それ以前に日本人の文化のパターンについてよく見出した本だなぁと。これは読むべき本であった。

 

あと、日本人の睡眠や性に関する所では本当に笑ってしまった。

 

 

一揆の原理 (ちくま学芸文庫 コ 44-1)

一揆の原理 (ちくま学芸文庫 コ 44-1)

 

 

 

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

 

 

 

 

 

 

 

「目指せ愛されキャラ!推しキャラハッカソン@ #ヒーローズリーグ 2019 by MA」に参加した

こちらに参加しました。ブログ書くまでがイベントです。

 

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mashupawards.connpass.com

 

いつものようにGmailDocomo Developper supportからメールきてて、職場でこのハッカソンの事を紹介したら(まぁ塩対応だろうなぁと予想)行きたい!って若者ががが!こ、、これは言った手前、自分も参加せねばなるまい!!と言う事で参加しました。

 

以前マッシュアップアワードと言う名前で行なっていたものが去年からヒーローズリーグと名前を変えて実行されているみたいで、今回はDocomoのAgentcraftか、コトバデザインのエンジンを使って推しキャラのボットを作りましょうと言うもの。

 

いつものごとく自分は一人で黙々とですが、途中から同じ年代の方と一緒に作業しました。

 

AgentCraft上で作るボットも、コトバデザインさんのものもいずれもAIMLと言うものを吐き出すエディタらしく、??AILM?と思いちょっと調べるとこれは人工無能系のルールベースのものを定義する言語らしいですね。

 

AならBを返す、Aで得られた変数を元に次の会話ではCを返す、などといった分岐処理がルールベースで表現できます。

 

ja.wikipedia.org

 

これらの言語のパーサー系も各言語で出ているらしく、ええ?それじゃ、、以前ツイッターボット作っていたときもわざわざ形態素解析とか 自分でプログラムで分岐する必要なかったんじゃ・・・

 

うわーーーーーーーーーーん!

 

はじめにアイデア出しで一人一人こんな感じでキャラを描いて推しを描いていくという絵を描いた事もない人にはなんとも拷問に近い刑をされたのですが自分はまぁ以前作ったLINEスタンプのキャラでも描いてみようかなと、、、この中で結構発展したのが「うちの娘」だったのでこれをボット化しようかと。

 

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で、最後に自分が作るボットについてみんなで見せ合ってチームを作ります。僕はこんな感じでした。

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他の参加された方はチームを組んでこんな感じのものを作りました。

 

 ・すし男

 ・将軍

 ・ねむねむ君といっしょ



実際のハックの時間はこんな感じのイメージで作りました。Andorid側は自分で、Agentcraft側の設定を当日一緒になった方にお願いしました。

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 そういえば会場はNTTドコモ仙台の13階にすし詰めにされたため、お昼はお弁当が出ました。牛タンですよ牛タン!牛タンと麦飯がんまかったです。

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 2日目はハンバーガー。デカイ肉でした。口どんだけ開けても入らない!BURGERS CAFEと言うところです。

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こんなのができました。 

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エミュレータなのでマイクが使えず、テキスト送信にしたのですが、ムスメに語りかけると、絵と共に小学生らしい?おどけた返答をしてきます。一緒にやった方がAIMLに関してよく知った方であったため、たとえば、自分がBotを作っているときには難しかった、会話のキャッチボールができます。

 

父「今日はなにしてたの?」

娘「とーる君からお手紙もらったの」

父「どんな内容?」

娘「ないしょ!」

 

とこう言う感じですね。AIMLすげぇ、、今更知った。AIML、10年前の俺に教えてあげたい!

 

本当は発話に対して感情判定をしてパパ嫌い!とかやりたかったのですが、時間的な事情により、単純に3割の確率で「パパ嫌い!」とか言わせるなど妥協したりしてます。 

 

で結果発表。外のチームはアイデアがよく、2日間という限られた時間でもかなり作り込んでいたりしてと、今回は自分の成果は残念だなと思っていたのですが、、、

 

は?

 

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((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

 

今年の運を使い果たしたか!

 

正直、審査員の方たちと話して感じたのは、今回自分はアイデアを発散させたってだけだったのですが、その作品のその後、作品を作る際の将来を見据えた戦略などを考えると言う部分に、ただただすごいなぁと思いました。

 

ボットを作りましょうと言われると自分は人工無能やらTwitterボットやらLINEボットを思い出すわけですよ。今までさんざ作ってきましたし、ボットを管理するサービスなんてのも作った。でも今回見てて感じたのは、幅広い意味でボットと言うこと。今回優勝した、ねむねむ君ですが、こんな感じのリアルなロボットにアプリを載せています

 

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自分がやってきたことはたかだか、ソフトウエアの世界、画面の中だけでボットを作ってきた事で、こういった身体性のある何か?にボットが乗る事によって、色々とまた世界が変わってくるのだろうということ。

 

僕は正直、今回のイベントでこのロボットを見ても、何を作るか?なんて想像の外だったし、これにボットを載せるなんて全然思いもしなかった。多分ね、自分の染み付いた考えなんだけど、ソフトウエアから出た世界は自分が入っている蚊帳の外でやっぱね、、考えがオッサンなんだなって。これを使ってねむねむ君というキャラクター世界を作り出したチームはやっぱ、考えが柔軟なんだなぁって感じた。

 

あと、今回切に感じたのは、人数は力ということ。こう言うイベントに自分が出てきたときは大概一人でやっていた。今回はもう一人加わったわけなんだけど、他のチームの4人とかには作業効率は圧倒的に悪いって事。

 

今回作った娘の画像はもともとLINEスタンプで自分が作っていたものですでに40枚の画像があった、また自分の娘というキャラクターが自分の中に出来上がっていた。更にこのキャラに決定する段階にも他のLINEスタンプのキャラがいたわけ。なので過去の遺産が自分のスタートラインを他の人よりも先にしていたし、プログラミングだけに集中する事ができた。

 

でも、2日間という時間の中で4人と戦うってのは正直辛いなぁって感じました。4人いればキャラ担当、ボット担当、ボットの声担当と分ける事ができますし(まぁあたりまえなんだけど)