arcanum_jp’s blog

おっさんの日記

みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 市場最大のITプロジェクト「3度目の正直」を読んだ

 タイトル長いよ・・・

 

 

Twitterで話題になっていたので読んでみた。1章、2章でいかに馬鹿デカイシステムかわかるし、そう言うのメンテするだけで大変だろうなぁと言う感じはする。それに巨大な銀行が統合されていった後だ。システム移行で話題になり揶揄されたりもしてたけど、こりゃ大変だわ、、と言う感想。

 

途中、社長などのプロジェクトは大変だったが結果として大成功とか提灯記事だなぁと眠くなってきたけど第7章からは障害の詳細と検証、そして対策などが語られるが、この辺は自分がいる業種の事のため大変面白く読めた。対策(の1つ)として語られているのが新たに作ったデータフロー図を中心にして行うプロセス。まぁそれらは昔からABC(当たり前のことを馬鹿になってちゃんとやる)と言われるもので初心に帰るって事なんだろう。ABC大事

 

 

 

 

 

蘇をつくりました。

コロナの影響で子供がまさかの休校、、、それで親たちは代わる代わる休んだり半ドンで帰ってきたり。そんななか蘇と言うのがネット上で話題になっていたようで。。。

 

togetter.com

 

これ、蘇って醍醐味の元になったやつなのでは!醍醐味、、、本来の醍醐味を味わえるのか?1000年前の失われた味!貴族しか食べられなかった味!

 

と思ってちょっと調べたら、、、

ja.wikipedia.org

濃厚な味わいとほのかな甘味を持った液汁とされ

とあり、蘇の味と醍醐味自身は関係が無いのだなと。これ読むと蘇自身がレアチーズみたいなもんだと。

 

グーグルで「蘇」でググろうとすると販売なんかもレコメンドされるのですね、、いままで失われた味なのだ!と思っていたものは実は普通に売られているものだった、、、下は「蘇 販売」でググって適当に開いたやつ

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で、上のトゥギャッター通り、作ってみました。

 

原材料:牛乳

 

これだけです。これをテフロン加工のフライパンにいれて煮詰めます。こんな感じでフライパンにダバーっといれ、煮ていきます。牛乳は普通に買ってきたものです。賞味期限近くで安くなっていたのがあったのでそれを買ってきました。

 

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一時間ぐらいこんな感じです。微妙に少なくなっているけど、、、あーー後悔するわーー、、これ失敗したらカミさんにまた色々言われるなーーーとか思いながらかき混ぜます。ちょっとすくって舐めてみたのですが、、、クレマトップですね。

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これ、1時間以上経った時ですがちょっとは少なくなってきたので水分が飛んでいることはわかります。でも「まだシャバシャバしてます、、、これほんとに蘇になんのか?気づいたのですが作業は鍋のヘリで固まったのをこそげ落として行くみたいな感じですかね?ヘリをこそげ落としながらフライパンの中央部で固まったのを撫でていく感じです。

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フライパンの中央部に居座っていた焦げですが突然こんな風に取れてしまいました。これも食べてみましたがマイウーーでした

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こうなってくるとあとは10分以内です

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ここからが本当にびっくりするぐらい固まっていきます。最終的にはドーナツの記事ぐらいまで固まってきます。ここまでくるのにだいたい90分ぐらいかかります。

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マッシュポテトほどに固まった蘇、少し食べてみると、甘みの無いミルクセーキ味のマッシュポテト。ミルクのギュっと詰まった味が感じられます。これを冷やして出来上がり

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ネットで焼くとうまいとあったので焼いてみました。冷やす前はマッシュポテトぐらいでしたが、冷やしたらもうカントリーマームの硬さ。なので先ほどいれた容器から取り出すときちょっと苦労しました。

 

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食べるともう甘みの無いミルクセーキそのものですね、カミさんはちょっと塩気が感じられると言っていました(僕は舌バカなのでそこまでは)娘に食べさせてみましたが、クッキーみたいで普通においしいとのこと。

 

普通においしい!なんと、、、1000年前の貴族はこれをうまいうまいと食べていたんだけど、今にしてみれば素朴な味でほっぺたが落ちるなんてことにはならず、、、現代の普通がいかに過去にはありえないうまさだったんだろうなぁと。

 

 

 

 

 

 

 

日本史リブレット、中世の家と性

軽く読めて以外と面白い日本の歴史についてのあれやこれやが手に入る日本史リブレット。まだまだ読んでます。 

中世の家と性 (日本史リブレット)

中世の家と性 (日本史リブレット)

 

 

おお!中世の家についてと性のことか、、、セックスとかそう言う事情が語られるのかな?これは興味深い。。。

 

北条政子は生前は政子とは呼ばれてなかったそうな、しかも北条ともよばれていない。位階(功績のあるものや在官者に与えられる栄典の一種)を文書に書く必要性が生じ、父である北条時政から政を取ったそうな。子は当時、位を有している特別な女性のみが良い字に「子」を付けた名前を持つことができたので「政子」生きている間彼女が自身から政子と称したことはないと。

 

しかも北条を付けて呼ばれるのはここ最近、昭和以後だそうだ。なるほど、、、ん?ここから始まる北条政子のセックス事情か?中世のそう言う事情だな!そう言う事情だな!僕の心は踊る。

 

しかしその思いは辛くも崩れ去る。本書は中世の氏制度から家制度になる時期における貴族、庶民の性(ジェンダー)がどういう扱いを受けているか?についての本。えええ?あとは消化試合。。。

 

以下、面白いなぁと感じた物をツラツラと。

 

 まず家についてだけど、江戸時代以降は特に家と言う単位が制度から色々な部分で意識されるようになったけど平安時代の中世はまだ家とい概念は成立しておらず、「氏」と言う単位で構成されていたようだ。これは族長を頂点とする血縁関係なく構成される集団として天皇に奉仕する組織。これが中世を経て、血縁を中心とした「家」制度へと変換していく。

 

結婚は基本的には女性側が男側の家に行き生活する形だったようだ。女性が男性側の家に行き、その後夫婦で別の家に移る。ただし、面白いのは結婚に際し主導権を握るのは女性側の親と言うこと。今でもそうだが婿となる男は女性側の父親に認められると言うことが必要だったようだ。

 

これについては本書では冒頭で紹介された北条政子についての結婚の逸話が紹介されている。当初、北条時政は娘を平家一門の平兼隆と結婚を考えていたようだ、結婚の約束を取り付け婿を迎えに言っている間、源頼朝が娘と恋愛し、子供をもうけてしまった。(婿迎えにいくのにどんだけ長い時間がかかるんだよ!)一度は兼隆の家に入ったものの、その後頼朝と駆け落ちをしてしまい、時政もこの結婚を認める。ちなみに平兼隆は頼朝の挙兵で真っ先に討たれた。北条政子、実は先見の明があったか!

 

昔と言うと女性は親の定めた男と結婚するみたいなイメージがあるが、ここからわかるのは、親の決めた相手との結婚と、女性の自由意志による結婚があったってこと。こう言うのは面白いね。例えば夜這いのあるところは女性は年頃になると近くの小屋に住まわされ、夜這いによって子供ができると女性から指定された男と結婚するって聞いたけど、これも女性による自由意志だよね。 江戸時代以前の習慣てのは読めば読むほどほんと今と違って面白い。

 

本書によるとこの時期は氏制度と家制度が混ざったような感じで、例えば違う氏間で結婚しても家が持つ名字は変わるが氏としての名前は変わらない。自分の出身を死ぬまで意識すると言う感じで、死んだらたとえ夫婦だったとしても元の氏の墓に埋葬される。

 

財産の分与についても 家が成立しつつあるときは女性側にも財産の権限はあったみたいだが、他家に行った女性が裁判で財産の分与を求め、財産が他家に流出するようになってくると家の嫡男が継承していくと言う方向になっていったみたいだ。

 

さてその財産だが何をもって財産だったのだろう?お金もそうだが、先祖が残した日記や文書などだそうだ、それらは政務の場における儀式作法などの参考とするため。政務での文書を自分の家のものとして継承してくらしい。そしてあの事はこの家の日記に書いてあると・・・この家自体がリファレンスとして機能し、そう言う家の格ができてくる。

 

そこに家の格をあげるために貴族が目を付けたのが「芸能」定家の和歌の家、藤原定能(さだよし)の郢曲(えいきょく)の家、藤原基家の鷹の家、世尊寺流の能書の家など、、官位、官職の昇進をはやめる高める手段の1つだったらしい。

 

色々と面白かった

 

Twitterでのノート

https://twitter.com/arcanum_jp/status/1226809251860869120

ヤーコンで切り干しヤーコン

ヤーコンってご存知でしょうか?

 

ja.wikipedia.org

 

芋の種類みたいなんだけど食べてみるとものすごい甘い。大根の繊維がおおいような食感でWikiPediaに書いてる通り、ナシを食べたあとのように繊維質が口に残ります。野菜に砂糖でも入ってんじゃないか?って思うぐらいで見た目とのギャップで脳がバグります。生でも食べられますがあんまり好きじゃないんですよね、、

 

これ、たまにもらってくるんだけどいつも食べ方どうすればいいの?って思っていたんだけど、今回は、大根見たいな食感なんだから切り干し大根ならぬ切り干しヤーコンにしてしまえばいいのでは?と思いやってみました。

 

切り干し大根のように細長く切ってそれを寒風にさらして乾かします・・・あれ?乾かない、、大根みたくカラカラにならん・・・いくら乾かしても糖分がおおいのかベタっとした感じが残る・・・まぁでもこんな感じになりました。

 

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これを人参と合わせて炒めて日本料理特有の出汁、ショーユ、お酒、みりんなんかで味を整えます。砂糖はいりません。本当は糸こんにゃくを使いたかったのですが子供が食べないと思われ苦肉の策できくらげ入れてみました。こんな感じになりました

 

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口に含んだ瞬間、、う、、、甘い、、、(´・д・`)ヤダ ってなりました。。。砂糖いれてないのにこの甘さ、、、食感は切り干し大根ほどのゴリゴリ感は無いですが、うん、、これは切り干し大根(のような)料理だ、、(甘いけど、、、)

 

まぁでも、、ご飯と一緒にほうばると美味しかったです(矛盾してんぞ)

わかめもらった

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先週から知り合いに連絡を頂いていたが、連絡をもらいワカメをもらった。いや、、、そんなに、、、聞くに朝に知り合いのところに取りに行っていたらしい。この方、クマ狩ったり色々とする方で、、、ワカメもとるのか・・・ワカメは大好きなので内心小躍りしてしまいました。

 

さて、部分部分に切って。。。

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ワカメだけでこの量・・・

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さて、とりあえずこれ全部洗って湯がく、、湯がく、、湯がく、、、メカブは細切れにして明日の朝ご飯で食べるとして、、、こうなりました。

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ワカメの酢の物、味噌汁、ワカメのスープ、ワカメのお刺身、、いいですね

 

日本史リブレット、江戸時代の老いと看取り

 

江戸時代の老いと看取り (日本史リブレット)

江戸時代の老いと看取り (日本史リブレット)

 

 

日本が老後の看取りについて意識したのは意外と浅く、と行っても自分が生まれてから子供時代あたり。それは本書の冒頭で「たそがれ清兵衛」と言う映画から。この映画、自分は実は見てないんだけど老いた母を看取る家族愛が描かれてあるが、実は原作では老婆と言うのは出てこないのだと言う。

 

たそがれ清兵衛は実は1970年代に書かれた3つの小説からなのだがこの3つにも老婆と言うのは出てこない。1970年代と言うのは日本の高齢者人口率が5%を超えて国連の定める高齢化社会と言うのに突入していたのだそうだ。もう半世紀近くも前から日本は実は「高齢化社会」だったのだ。

 

たそがれ〜が映画として上映されたのは2002年なのだが80年代を通じて高齢者人口比率は10%を超えようやく社会の中での問題として扱われるようになった。その時代背景の中でたそがれ〜では老いた母として原作を書き換え描かれ老いそのものがクローズアップされたと言う。

 

江戸時代の武士は実は老後とか隠居とかは無く、基本的には死ぬまでが忠義なのだそうだ。本書では80や90を超えてまだ現役に忠義に務める武士の姿が見て取れる。昨今の死ぬまで働けなんか目じゃ無いのである。

 

いくつかの藩の例では条件付きで70歳で隠居できるというのはあるらしいが・・・昔の70歳って言ったら超超高齢だぜ?本当に死ぬ一歩手前まで働いていると言う感じじゃないかな。まぁ、日本の年金制度も60歳で引退したら数年間ぐらいのおまけの人生のと言うイメージだったらしいけど。これほど人は死なないとは思わなかっただろう。

 

ただ、本書を読んでいると今のサラリーマンのように毎日朝から晩まで風邪引こうが下痢だろうがなんだろうが働いていないと風当たりが強くてみたいなのはなく、そんなにあくせくとはしてないようだ。江戸時代の死ぬまで働くは今の年金制度が言う死ぬまで働けと言うのとはちょっと違う死ぬまでなんだろう。

 

さて 看取りについては武士、庶民とも誰がするか?については家長の責任のようだ。これは以前読んだ「近世村人のライフサイクル」でも書かれていたように家長が全ての責任において知識を仕入れ、実行すると言う形なのだろう。最近読んだ明治以前の社会において、全ては家の存続というのが命題で家の存続において家長は大きな権限を持ち、またそれは大きな責任でもあったのである。

 

家長が責任において行うが、当然労力不足があったりする。その場合は下男を雇ったりと言った事はあったようだ。武士、庶民ともども親を看取る事は儒教の孝であるとし推奨された。武士の場合は本書によると、申請で看取りのために20日程度のまとまった休みが取れたようだし、見事看取った者には褒賞もあったみたいだ。

 

ただ、看取られる方から見ると、財産などを譲る事を契約書などにして看取られていくと言うのが見れる。自分が看取る事は数十年後の自分が看取られる事、なのだが自分が無事看取られるためにはそれだけの何かが必要であったようだ。

 

庶民は家長が行うにしても働く必要もあり、そこは夫婦ともども行うと言う形のようだがその場合当たり前だが食い扶持を得る機会がなくなるわけで、生活は困窮を極めてくると。また看取ってくれる人もいない老人たちは自殺すると言った事もあったようだ。

 

こう言うのを見ていると以前遠野に旅行に行った時に現地の看板で見た姥捨山についての説明を思い出す。姥捨山と言うと大体は老いた母を山に置いていくと言うイメージがあるが、実は捨てられた老人たちの暮らすコミュニティがあり、そこに置いていくと言うのが実態だそうだ。

 

そのあとはそのコミュニティでは近くの村々から細々とした野良仕事をしたりして食物を得ていく。当然、コミュニティ自体は困窮を極めただろうけど先の夫婦共々看取りを行い、困窮を極め家自体が自滅していくと言うのよりは家の存続と老いた人の寿命と言う面では当時としては合理的な判断だったんだろうなぁと。

 

 江戸時代は家を基本とした生活のため看取りは当然ながら家そのもので家長の責任において行う。現代はどうだろうと見ると家制度そのものが崩壊していると感じるし、何より家長と言うものにそれほど権限はない。介護保険があったり年金があったり。そう言ったものすら今後怪しい。介護は家族で(ほっこり)なんての見かけると怒りしか湧いてこない。上で見たような江戸時代に戻るのかよ!と。 

 

江戸時代の看取りと現代のそれを比較しながら読んでるとなんだか悲しくなってきた。酒飲んでくだ巻いて寝よう。

 

 

 

近世村人のライフサイクル (日本史リブレット)

近世村人のライフサイクル (日本史リブレット)

 

 

日本史リブレット、縄文の豊かさと限界

 まだ続きます 

縄文の豊かさと限界 (日本史リブレット)

縄文の豊かさと限界 (日本史リブレット)

 

 

いきなり地球の周回軌道の話から入り、あれ?おれ縄文時代の本・・・じょう?もん?・・・と意識がすっ飛ばされそうになりながら読んでいると地球の気候は約10万年周期で変動しているらしい。その最後の氷河期が1万年前あたりに終わり気候の好転は人間に繁栄をもたらした。それが縄文時代ということらしい。

 

縄文時代の繁栄は基本的には自然の恵みによって持たさられていると言うのが本書でわかったこと。縄文時代に入る前あたりから狩猟と木々のナッツなどを食べながら移動していたが河川漁労という形態(川で遡上するサケとって保存して冬越すとか)で一定期間その場所に止まる、そして栗の木を大量に栽培しての大量入手、最後に海洋労漁が加わる。それらが土器、石器、当時の土地に含まれている花粉や貝殻などからわかっている。

 

縄文時代、集落は1、2件の家が集まり、それらが広い地域で集団を作っている。また、海洋漁労で取れた貝の干物?などは遠くの地域への交易で運ばれる。比較的小さなコミュニティで暮らしていたのか?と思っていたが縄文人は想像を超えて大きな範囲で活動していたらしい。

 

このように人間にとって自然の恵みが夢のようにわんさか湧いて出てくる世界でユートピアだったかと言うとそうではなく、本書のタイトルである豊かさの限界について、自然の恵みを基本にしていただけに、自然の変動により影響を受け、人口が激減したりしてる。相当自然に左右される社会だったようだ。

 

その限界に対抗し成功したのが農耕と言う事となる。本書では縄文時代末期にもヒエや粟、米の生産は土器やその他の証拠からわかっているが、基本は自然に育ったのを収穫するのみ。朝鮮からの渡来系の人々が灌漑設備を整え、計画的に米を生産していく。弥生時代の開始である。

 

 しかしなぜ米なんだろうか?日本の気候は湿潤で森林なので縄文時代の栗の木による食料採取が合っていた。米は森林のように湿潤を求める品種で日本の湿潤な気候に合っていたのだろう。

 

渡来人が目をつけたのが米じゃなく他の品種であったらこうならなかったのだろうなと。逆に、渡来人が試行錯誤の最後に目をつけたのが米だったのかもしれない。

 

面白かった。

 

読んでる最中のツイート

https://twitter.com/arcanum_jp/status/1217445122570215425