arcanum_jp’s blog

おっさんの日記

「アバウト シュミット」を見た


アバウト・シュミット [DVD]

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 母親が言っていたよ。「妻に死なれた男ってのは情けない(汚い)」これは母親の世代、その前の世代の男が生活一般に関する作業を妻に頼っている人が多いために、先に妻に死なれた男ってのは、何にもできなくて情けないし、掃除もしていないので見た目も汚いねぇ・・・って言うこと。それを地でいった映画。でもそんなポスターで見たような汚いシーンはあまり無く、大半は旅を通しての自問自答が主になる。この自問自答をする上で使った方法が面白かった。妻の死は彼にとっては一大イベントであり、自分の周りを考えるいい機会になった。


最終的に主人公は無常な感慨に行き着くわけだが、最後は偶然に出来た人との小さな小さな絆(あの手の活動ってちょっと詐欺的ですね。証拠が無いから。でもTIME誌なんかにも広告を出していたのを見たことがあったから詐欺ではないのかもしれん。まぁ自分的には手は出さないけどね)に慰められる。非常にいいシーンで突然終わる。落として落として落として最後に一閃の希望。これでもらい泣きしない者はいないだろう


 最後の一コマで分る通り、人間は1人では生きては行けなくて社会的なつながりがあって生きていけるって事かな。会社を媒体にして社会とつながりを持っていてた主人公は突然定年って事で社会とのつながりを消されてしまった訳だ。しかも元の会社に行ってみたら暗に「あなたは必要ないよ」って言われる。さらに妻は死んでしまうし、唯一の肉親は今までの行いのせいか電話でつれない返事をする。こういった時大事なのは何かとのつながり(自分の存在意義)でしょう。


 定年って年齢で仕事が突然無くなってしまうけど、趣味などの活動を持っている人は社会とのつながりが会社を通してから趣味を通してに変わるだけで別にどうって事も無いけど、会社が1日の行動の理由の大半を占めている人には辛いかな。ウチの親なんかもそうだった。何でもいいから仕事をもって社会と交わる部分を持つ、仕事が無くても趣味でもいいから社会と交わる部分を持つ。そういったところがあればこの主人公のような情けない気持ちにはならないんではないなかと感じた。人とのつながりが苦手な自分は、なんか末恐ろしいものを感じた。


 昔書いた文章。arcanum.jpで公開していたけど、内容の精査で消してしまったので、ここで再度公開。