arcanum_jp’s blog

おっさんの日記

「夢」を見た

夢 [DVD]

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 娘の名前の由来になった映画。映画の最後の最後で出てくる風景が良くて、その場所を必死になって覚えていて、念願の娘が生まれたときに付けた。本当は漢字の方がよかったんだけど・・・いきなり脱線したけど、かれこれ20年前から何度も見ているが、黒澤明監督の「夢」を見ていてふと思った。


 映画の中の数ある「夢」の話の中で、戦争が終わって帰還兵が戻ってくるシーン。トンネルを抜けたところで死んだはずの部下がトンネルから抜けてきて会う。それどころか全滅したはずの自分の小隊全員に会う。トンネルというと、車では一瞬であるが歩いて抜けると非常に気持ちが悪い。暗いこともあるが、自分の足音が壁に跳ね返り後ろから何者かが追いかけてくるような感じがする。そんな事もあり、幽霊が出そうってのは分かる気がする。



 そのトンネルであるが、トンネルや橋などは昔から、あちらとこちら(あの世とこの世)を結ぶものとして、幽霊の出る場所なんて言われる。橋を渡る前と渡った後では別の世界らしい。主人公がトンネルを抜けて生還したというのも興味深い。あちらの死ぬような世界からトンネルというあちらとこちらをつなぐ穴によってこちらに生還したのである。



 と、ここまでは映画の中の幽霊に会うシーンへの感想なのだが、主人公によって説得されてその幽霊?達はまたトンネルの中に入って帰っていく。非常にほっと胸をなでおろすシーンであり何か滑稽なシーンでもある。このシーンで、あれ?と思った。幽霊達はまたトンネルというこちらとあちらを結ぶ穴によってまた帰って行くわけだが、ここで養老孟司先生の「バカの壁」「死の壁」を代表する著書にたびたび出てくる思想を思い出した。



 要約であるが、日本人社会全体の考えとして、死んだ人はもう日本人ではなく、社会の輪の中から外れるという。つまり日本人社会という会員制クラブから追放されるということ。死によって日本人社会の一員ではなくなる。つまり、生還した主人公は死んでいないので、こちら側の日本人社会に帰ってくることができた。死んだ部下達は死んでしまっていたので、すでにこちらの社会の人ではない。そこであちらの世界への穴であるトンネルを抜けて帰って頂くしかないのである。はじめ1人で抜けてきた部下がその事を象徴している。両親のところに帰りたいが、自分は死んでいるので帰れないと主人公に訴えるのである。帰りたければ帰ればいいのである。ただし彼の住む場所(社会)ではないという暗黙の了解があり彼は帰れない。彼は既に日本人社会からは追放されているので、お盆に焚いてある火を元にちょっと里帰りするしかないのである。



 最後に、もうひとつ面白い所は、一番最後にトンネルから抜けてきた幽霊はもともと日本人社会の生き物でもないし人でもないので、主人公は説得もできず、あちらの世界にも帰ってくれない。上の話から言うと、こちらの世界には戻ってきたが、その、日本人社会に元々いない一員はいつまでも主人公につきまとう事になる。



 途中までは幽霊は怖いというより非常に滑稽でしかなかったが、最後の最後で出てくる幽霊で非常に怖くなる。うーん、養老先生の話は、理論としてはナルホドとわかったが感覚としてわからなかった。こういうことなのかなぁと思った次第。


バカの壁 (新潮新書)

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