arcanum_jp’s blog

おっさんの日記

群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序 (PHPサイエンス・ワールド新書)

群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序 (PHPサイエンス・ワールド新書)

群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序 (PHPサイエンス・ワールド新書)

 前々からジュンク堂をウロウロしているときに気になっていた本。著者は郡司ペギオ行夫さん、ミドルネームのペギオは自分の子どもの名前に「ペンギン」をと言ったら妻に却下されたらしくて、それで付けたそうだ・・(((( ;゚д゚)))アワワワワ

 正直、文系の私には荷が重かった本でござました。この本の中核となるのは「モノ」と「コト」の概念。群れの中にいる個体の振る舞いは「コト」、群れとしてふるまうことが「モノ」となる。本中、何度もこのモノとコトが繰り返されます。

 著作の中では、群れの行動として、アリやミナミコメツキガニと言うカニの生体をコンピュータ上でシミュレーションを行い、「受動的能動者」と「能動的受動者」と言う言葉を説明している。これらは群れで行動する際、今行動した個体は実は回りの個体の行動したい!と言う能動的な反応にさせられるという図式で説明しています。

 (1)回りの能動者が動こうとした
 (2)その反応を受動的に受け取り、自分が行動

 この際の(1)が能動的受動者で、(2)が受動的能動者です。これをダチョウ倶楽部のテンプレ的な熱湯風呂ギャグで説明する。おいおい!

 本に出てくるミナミコメツキガニは、集団で行動する際、水を避けながら行動するそうで移動中水際で集団となり水際の個体が我慢しているけど密度が濃くなってくると雪崩を打ったように水に入る。水際最先端の個体はその後ろの個体たちに受動的に行動させられたわけだ。

 これは面白いなと感じた。普通人間でもいいけど何かが行動するときは、環境の行動する閾値が下がったから能動的に行動するのかなと思っていたが、群れにおいては逆で、能動的に動こうとした個体に影響されて受動的に動く、だから群れと言うのは個体が勝手に動くわけではなく動かされるわけだから集団での移動を実現できる。

 この個体が行動させられる様とボブ・エルウッド(動物行動学者)の「ヤドカリは痛みを感じるか」という研究で刺激を我慢することが痛みの本質だということを引き合いに出し、水になかなか入らないミナミコメツキガニは水に入る際痛みを感じているのではないかと言う。

 そういった習性を使い、本ではカニによる論理演算装置を紹介している。

え?カニの論理演算?

 この論理演算は正直面白かった。本中こんな絵で説明されます。た、、たしかに論理演算になっている・・ (((( ;゚Д゚))))ガクガクブルブル


↑これは論理和(OR)装置


↑これは論理積(AND)装置

 これ、、シミュレーションだけど、工夫すれば十分ゲームになるよね・・・

 最後、チューリングテストを引き合いに、対象者がカーテンの向こうの何かと話を行い、それが人間かコンピュータか判断をするのと同じで、命題となる群れは意識をもつかと言うことだが、群れそのものが意識を持つわけではなく、受動的能動、能動的受動を通して群れが意識があるかのように行動するということが、観察者にとっては十分、意識を持っているという事なのだろう。

 面白かったです。ちなみにこんなの見つけました。

近頃『生命壱号』を上梓した郡司ペギオ-幸夫さんについての伝説を、茂木健一郎氏が語る。

郡司ペギオ幸夫伝説 - Togetter