arcanum_jp’s blog

おっさんの日記

いいことシール

 子供が小さいと「xxしなさいよ!」って言っても当然ながらやらない。なぜそれをしなくてはならないか、それをしないことによって起きることは何なのか?することによって起きるのは何なのか?子供からすればそのxxをやったことによる短期的なインセンティブが感じられないので当然だと思う。まぁ大人だって同じだよね、将来的に自分に良いと分かっている事でもやんないのはやんない。


 そこで僕は「いいことシール」というのをはじめてみた。親が「xxしてね」とお願いしてすぐやってくれたら、、、または子供が自発的になにかよいことをしたら・・・「xxはよかったよ」「すぐやってくれてありがとう」と言い、カレンダーの今日の日付に一つシールを貼っていく。当初これは、いいことしたらよいことが起きる(短期的なインセンティブの創出)という単純な発想だったが、親から見てそのインセンティブを得るためにやっているうちに最終的には習慣化すればなお良いと思っていた。


 結果としてどんなことが起きたかというと、子供がそのシールを得るには何をすればいいかと自発的に考えるようになった。弊害としてはシールをもらえれば何かもっと良いことがあるんじゃないかという考えも持つようになった。例えばシール10個になったからプリン買って!とか。まぁこれは想定内なんだけど。


 あとこれは後から子供に「いままで自分がどれだけ良い事をしたか」を話すときにとても良い材料になる。なにせ今までの良い行いが可視化されているのだから。あくまでいいことにフォーカスする。悪いことは言わない。ネガティブなことを言う傾向にあるからこんな風にポジティブの記録のみにする。


 ただ、弊害もあって、うちは子供が二人なんだけど相手がやろうとした仕事をシールのために奪ってしまうこと。結果泣かせてしまう。これは困る。やったことは評価しなくてはならないが、反面そんなことはやってはいけないとダブスタなことを言わないといけないから。むずかしい。


 やっていて感じたのは、まぁ当たり前といわれれば当たり前なんだけど、ルール化されていないものは運用は難しいってこと。たとえば先ほどいいことしたらシールを貼ると書いたが、これは逆に言ってしまえば、親の胸先三寸で評価が決まってしまうってこと。こちらが本当にやってほしいときにやってくんない。あたりまえ。子供は他人なのだから親の気持ちなど分かるはずも無い。


 なので、これは続けるにしても、なにかひとつ継続したものを決めてから、やってくれたらシールを貼るという風にやること。これだと続けているうちに自分の仕事として認識し始めた。(たまにやんないけど)うちの場合は米とぎなんかがこれにあたる。


 息子氏の場合はゲームが好きで好きでたまらないわけなんだけど、あんまりゲームをやってもらっても困る。あれほど自分はゲームが好きで好きでたまらなくやってきたわけで、そんな自分の口から言うのもなんだけど、ゲームほど生産性の無いものはないと感じる。ゲームじゃなくてほかにやることあるだろ!って。自分もそんじょそこらの親と同じようになってしまったようで悲しい。


 なので、これも仕組み化してみた。先の米とぎなんかのいいことをしたときに、1枚15分のゲーム券を配る。大体一週間に一日1時間、休日に2時間程度になるように配る。すると、ゲーム券の欠乏は即、お手伝いになって現れる。まぁ、気まぐれなんだけども。で、やらないとゲーム券はなくなって行って不満となって現れる。のちにいう春闘である。


 あと、これの運用は結構うまくいくときはうまくいく。だけどうまくいかないスパイラルに入るともう駄目で、何をしようとしてもうまくいかない。その起点は親の怒り。親が怒った時点でその日のスパイラルは負のスパイラルに落ちる。これは子供は今までの路線でやってくれるだろう、、という期待があり、その行動ができなかった。そのことにより怒る。これが悪いんだと思う。

 あくまでも、やってくれたらラッキー程度に考えないと、子供もつらいし、なにより自分(親)がつらい。

 とまぁツラツラとメモとして書いてみた。