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おっさんの日記

日本史リブレット、縄文の豊かさと限界

 まだ続きます 

縄文の豊かさと限界 (日本史リブレット)

縄文の豊かさと限界 (日本史リブレット)

 

 

いきなり地球の周回軌道の話から入り、あれ?おれ縄文時代の本・・・じょう?もん?・・・と意識がすっ飛ばされそうになりながら読んでいると地球の気候は約10万年周期で変動しているらしい。その最後の氷河期が1万年前あたりに終わり気候の好転は人間に繁栄をもたらした。それが縄文時代ということらしい。

 

縄文時代の繁栄は基本的には自然の恵みによって持たさられていると言うのが本書でわかったこと。縄文時代に入る前あたりから狩猟と木々のナッツなどを食べながら移動していたが河川漁労という形態(川で遡上するサケとって保存して冬越すとか)で一定期間その場所に止まる、そして栗の木を大量に栽培しての大量入手、最後に海洋労漁が加わる。それらが土器、石器、当時の土地に含まれている花粉や貝殻などからわかっている。

 

縄文時代、集落は1、2件の家が集まり、それらが広い地域で集団を作っている。また、海洋漁労で取れた貝の干物?などは遠くの地域への交易で運ばれる。比較的小さなコミュニティで暮らしていたのか?と思っていたが縄文人は想像を超えて大きな範囲で活動していたらしい。

 

このように人間にとって自然の恵みが夢のようにわんさか湧いて出てくる世界でユートピアだったかと言うとそうではなく、本書のタイトルである豊かさの限界について、自然の恵みを基本にしていただけに、自然の変動により影響を受け、人口が激減したりしてる。相当自然に左右される社会だったようだ。

 

その限界に対抗し成功したのが農耕と言う事となる。本書では縄文時代末期にもヒエや粟、米の生産は土器やその他の証拠からわかっているが、基本は自然に育ったのを収穫するのみ。朝鮮からの渡来系の人々が灌漑設備を整え、計画的に米を生産していく。弥生時代の開始である。

 

 しかしなぜ米なんだろうか?日本の気候は湿潤で森林なので縄文時代の栗の木による食料採取が合っていた。米は森林のように湿潤を求める品種で日本の湿潤な気候に合っていたのだろう。

 

渡来人が目をつけたのが米じゃなく他の品種であったらこうならなかったのだろうなと。逆に、渡来人が試行錯誤の最後に目をつけたのが米だったのかもしれない。

 

面白かった。

 

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