arcanum_jp’s blog

おっさんの日記

欲望する脳


 次の通勤本を探索中にみつけたもの。自転車通勤も楽しいけど電車通勤になると本が読めるのが幸い。まずはわからなくてもいいからどんどん体に詰め込む。この作業が結構たのしい。詰め込んだ文字はそのうち必要なものは知となり肉となるさ。正直VAIOのおっさんだったよな程度の知識で買った本。


 正直この本、何を言っているのかわからない。リビドーって何だとか、やっぱ自分は馬鹿なんだろうなぁと思いつつ読んでいるけど、「04 主語に囚われずに考える」については、あ、なーるほど!って思った部分がある。この章では「日本語は特殊だ」とか主語を固定してしまうと議論がすすまないので「同じ文字を2通りに読む言語は特殊だ」など主語を特定せずに考えるのがいいよって感じのことが書かれているが、これはまさにオブジェクト指向における抽象化のことではないのか??って感じた。


 世に言う詳細設計などというシロモノではもう、業務処理の微細な部分が書かれている。コーダーがいれば書けるんじゃね?って設計者が感じるほどに。でも実装面ではそうは問屋がおろさず各々の設計者が「この処理は特殊だ!」とばかりに書いた処理を抽象化していくつかのパターンに分けていく。そして実装面でのクラスを設計していく。どんなに設計者が「ウチの処理は特殊だからねぇ」って言っていても全体から見れば全然特殊ではないのが普通だ。この工程がなんともこの章の感覚に似ていたので、先ほどのように考えた次第。


 でも最近思うんだけど、どんなに微細に書いてどんな馬鹿が実装しても設計書通りになるだろうって設計書(と言われるもの)があったとしても、かならず実装と設計書の乖離ってのはできるんだよねぇ。そんなとき問題になるのは自分もそう感じてしまうんだけど「なんで実装時に設計書と異なる部分があるのに問題にしなかったか」つまり、プログラマは何で問題をあげないかってこと。(プログラマの責任にされるってことさ)


 いろいろと問題はあるんだと思うけど、設計書を実現するプログラマをホスト開発時代でいう「パンチャー」程度にしか考えていないのが一番の原因ではないかとかんじる。自分みたいなプログラマーから見れば、プログラムの処理系はこっちが考えるから、設計者と名乗るのなら要件をきちっと矛盾なく考えろ!って感じるのだけど、設計者からみれば「処理系まで考えて**あげて**やらなくては」って感じるんだろうか。餅は餅屋でじゃないけどお互いにきっちり仕事の線を引いたらいいもんできるのになぁって思うのは私だけ??


 あ、ちょっと話題がそれたけど。所感なんで気にしないでね。



欲望する脳 (集英社新書 418G)

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