arcanum_jp’s blog

おっさんの日記

「ギター弾きの恋 」「code46」を見た


 ツタヤでDVDをあさっていると、新作から1WEEKレンタルになったものに「code46」があった。一瞬パッケージの映像はなぜか「ダカタ」を思い出してしまったが、その中で登場人物の一人「サマンサ・モートン」にくぎ付け。あれぇ・・・誰だっけ・・・ウエンディ・モートンはさっぱり売れなかったよな。デビッド・フォスターがプロデュースしたのに。知り合いでCD買ったのは俺だけ??ま、それは昔の話。DVDのパッケージには「ギター弾きの恋」に出てたとあり・・・あ!!あの声が出ない頭のちょっと弱い女の子を演じた。そして僕は2・3日ほどはまっていた・・・あのモートン!!最近では「マイノリティ・リポート」にも出てたね。と言う事で、「ギター弾きの恋」「code46」を借りてみた。

ギター弾きの恋

ギター弾きの恋 [DVD]

ギター弾きの恋 [DVD]

 ギターはあんまり好きじゃないのよ。正直言って。ギターの弦がベーンッと震える音はあまり魅力的じゃないよね。ただ、単音は魅力的じゃないんだけど、和音はできるし、チョーキングすれば音が曲がるし、表現が豊かな楽器なのは確か。ブルージーなギターは結構好き。結構というか、いいね。カムバック、スティーブ・レイ・ボーン!!(結局好きなんでは・・・)

 たしかこの映画を見たのは、まだWOWOWに加入中に放映した頃、何かしながら見ていたのが始まり。それも途中から。始めは声が出ないのが分からなかったので、なんか静かな映画だなと思っていたが、エメットの破天荒ぶりと彼が奏でる音楽、そしてサマンサ・モートン演じる「ハッティ」の行動がかわいくてかわいくて・・・正直はまりました。エメットの破天荒な人生も見ていてなんだかいいなぁと思いますが、それよりもハッティの演技がよかった。

 この女の子、何がかわいいかというと、劇中殆ど食べているシーン。食べ方がかわいいね。こんな風においしそうにパクパク食べる女の子って結構いいね。それとセリフが無いので表情とゼスチャによる演技になるけど、それがハマッている。こんないい子を振ったエメットは馬鹿だねぇ・・・心底そう思うよ。

code46

 
 はじめにcode46とは何ぞや?っと説明が出てくる。その説明によると・・・遺伝子が25%、50%、100%同一の場合は子供作っちゃならん・・・要するに近親相姦を禁じる法律らしい。で、近親相姦をしてしまうと、犯罪者として’外の世界’と言うところへ追放されてしまう。結構、この映画、独特の世界観に慣れないと面白くないかもしれない。と言うか、わかんない。いろいろとこの世界特有の言葉がなどが出てくるが、その概念などがわからないと何の映画かさっぱりわからんでしょう。なので、下にこの映画の世界観を書いておきます。
 

パペル

 
  通行証(パスポートみたいなもの)。自分が今いる地域からとある地域に行きたい時は、申請を出して、許可された場合のみ行くことができる。既に国といった単位は消失しつつある世界のようで、パスポートと言ったものは存在しないらしい。ただし、許可が下りない場合もあるが理由等は説明されない。そこで闇でこのパペルを買う人が出てくる。

スフィンクス

  パペルを製造することが出来る唯一の会社。また、パペルの申請に対し調査を行って申請を許可または却下することができる。その際の調査については申請者に報告する義務は無い。

外の世界

 
 通常、人が住む場所は都市部であり、その都市から一歩外へ出ると、’外の世界’が広がっている。この外の世界は都市部から追放された人たちが住む世界であり、ただ生きることしかできない人たちであるとのこと。都市部の人間が生活の楽しみを謳歌するのとは裏腹に、この世に存在しているだけの人?となる。
  

人間は夜と昼の生活が逆転している。

 
 この時代、地球のオゾン層は極限まで破壊が進んでおり、すでに人間は昼間に外を歩くことができない。そのため、昼に眠って、夜に働くというのがこの時代の生活スタイルになっている。よく映画を見ていると車のガラスには全てスモークがはっており紫外線をカットするようになっている。そのため、劇中で出てくる車の中のシーンは薄暗い。

感想

 この映画、code46の説明から分る通り、展開がバレバレな映画。お馬鹿な僕でも「ははーん、主人公は、マリアと出会って、恋におちるんだな。それで、マリアが自分の親族と分ると・・・」とそんな一見バレバレの映画ですけどなかなか良いです。国が無くなりつつある世界観と都市と外をアジアの雑多な街と砂漠の対比で非常にうまく見せています。でもその中で人間はこの時代でも普通に生きているんですね。当たり前のことですが。


<ここからネタバレ>

 このcode46という法律の話をしているとおり、映画は2人が出会い、愛し会い、破滅の道を歩んでいく。ただ、最後は主人公ウイリアムにとっては結局は幸福な終わり方であり、マリアにとっては悲劇に終わる。人がいくら愛し合ったとしても、結局は一方の記憶が無くなってしまえば相手側の思い出しか残らない一方通行の愛?になる。記憶を消されたほうは、観客から見ればそれは悲劇ではあるが、破滅ではない生活をまた手にいれた点では主人公は幸福だったかもしれない。記憶をなくした主人公が最後妻と愛し合う場面、それとは反対に記憶は残したまま外の世界に追放され、かなうことのないマリアの愛への思いがスクリーンに交錯するが、1点の光も見えない絶望の中のマリアの表情は非常に悲しく感じる。あのあと2人は会う事はないのだろうけど、うーん、どうなったのだろう。何かのきっかけで会ってほしいなと願わずにはいられない。