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おっさんの日記

「講義ライブ だから仏教は面白い! (講談社+α文庫)」

講義ライブ だから仏教は面白い! (講談社+α文庫)

講義ライブ だから仏教は面白い! (講談社+α文庫)

 手塚治虫の「ブッダ」を読んだ自分にはフ・・・・、ブッダは分かってるぜ!(嘘)とか思ったとか思わなかったとか。単に以前から書店で平積みされており面白そうだなぁと思っていたので購入しました。


 日本のお寺なんかの仏教は「大乗仏教」というらしく、そのほかには「小乗仏教」もあります。小乗仏教は個人の救済で解脱し、阿羅漢になることを目指しているのに対し、大乗仏教ブッダと同じく解脱し仏になり衆生を救済することを目指しているとのこと。


 ブッダが四阿僧祇百千劫(南伝)三阿僧祇百劫(北伝)の間、輪廻を繰り返し解脱したときの解脱の方法を既に説いているため、大乗仏教車輪の再発明をしようとしているみたいね。おとなしくブッダの教えで阿羅漢になりなさいと。ただこれら2500年も続いてきた仏教は基はブッダの教えを説いた初期仏教の二次創作と同じようなもので、この本では初期仏教の考え方を色々な人物、仏教経典などを交えながら説明してくれる。


 仏教で言う「苦」と言うのは不満足の意味。何も苦しいだけが苦ではなく、満足した!の次に現れるような「もういいや」的な感じも不満足で、そういったのも含めて違和感があることを苦と言うのかな?そうすると人間にとって苦と言うのは繰り返し現れる現象で死ぬまで終わりがない。この辺は以前読んだ「怒らないこと」でも同じように、人間の生は苦によって出来ているみたいなことを言っていたなぁと・・・


 そのように終わりが無い苦が輪廻転生で何度も何度も続く、今は人間だけど次は蚊かもしれない。人からパチンと叩かれて死んで次はミミズで生まれたとたんに鳥についばまれ、次は魚で稚魚のうちに丸呑みにされ・・・と続いていく。それが永遠に続く。


 少なくとも四阿僧祇百千劫(南伝)三阿僧祇百劫(北伝)の間、僕らパンピーは訳も分からず輪廻を繰り返していたわけだけど、ブッダはそれに気づきその流れから抜けたわけです。そういった思想のなかでその輪廻の輪から抜けるのが解脱とのこと。ブッダは四阿僧祇百千劫(南伝)三阿僧祇百劫(北伝)の間修行して、自力で解脱して「仏」となり、わららパンピーはその解脱方法を実践し「阿羅漢」となるわけですね。


 ブッダの教えは縁起(原因と結果)を説くことで迷いとはその人が持つ悪い癖のようなもの。人間を含む世の中全てが周りの先行する環境によって無自覚に自動的に行動している。(させられている)この先行する環境を縁と言ってる訳で、自分が意思で欲望を欲しているのではなく、縁により機械的に行動しているようなもの。


 と本を読んで分かった!で終わりではなく、それを実践するのが仏教で、知識と実践が対になっている。その実践方法の一つとしてこの本では瞑想をあげているが、実践には、戒、定、慧の三学が必要となる。

戒、悪い行い(言うことも)をしない。外側に出る行動をよくしなさいって事かな。

定、集中力を高める。内側の行動を高めなさいって事かな。

慧、輪廻で溜まってる業、つまり無自覚に行動してると言うことに気付くこと

で、「気づき」(マインドフルネス)を行うこと。


 人間が意思を持って行動していると思っていることは、実際にはブッダが言うように縁起(環境)に支配されて機械的に無自覚に行っている事が多い。いくら自分の意思で決めたと思っていても実際にはその人が生まれてから今までの環境や、経験のバイアスがかかって決定している。それでは本当に自分の意志で決定しているとも言えず、自分の人生を生きているのではなく既に死んでいるともいえる。


 それがカルマ(のちに結果をもたらすはたらき)なのだろう。脳科学なんかだと、人間が行動を開始した0.5秒後に脳の意思をつかさどる部分が活発になる(意思がおきる)とか言われるしね。その無自覚にしている行動を気づくことによって、行動をやめ、その環境から抜け出す(解脱する)事を説いている。


 この本を読んでいて感じたのは、ブッダってのは、仏教を始めた人と言うよりは、今で言えば心理学者に近いのではないかと感じたこと。先日読んだ「幸せになる勇気」でも、アドラーは人間の心を分析するために心理学を選んだのではない、幸福の正体を問うもっとも先進的な手法が、たまたま心理学だったというだけなのだ。古代ギリシアに生まれていたら哲学を選んだだろう(p288)ともあり、いまブッダがいたら心理学でこういうことを言ったのではないだろうかと。


 たとえば、縁起とは殆ど行動分析学の先行条件、行動、結果を表しているし、その縁起によって無自覚にしている行為というのは、好子出現による行動の強化の話だ。それで悪い癖、迷いから渇愛を滅尽し抜け出すという話は、好子消失による弱化の話に通じる。スキナーが実験により見出したことをブッダが2500年も前に経験や観察か分からないけど見つけ出したわけだよね。面白い。


 無意識の領域を習慣の面から説明していてそこを気付くことの繰り返しが解脱への道みたいな。そうすると解脱とは死ぬまでの時間、無自覚さを気づき、有意義に使えって事だよね。著書のなかで繰り返し出てくる「仏教思想のゼロポイント」も読んでみたいねと思いました。



怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

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怒らないこと 2―役立つ初期仏教法話〈11〉 (サンガ新書)

怒らないこと 2―役立つ初期仏教法話〈11〉 (サンガ新書)

仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か

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幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

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