- 作者: 田中秀臣
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2016/02/10
- メディア: 新書
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本屋でムスメとデートしてるとき、本を選んでいるとムスメがどうしても早くしろとせかすので目の前にあった本をわしづかみして購入。ジュースを餌に子供と本屋なんかに来るもんじゃないすね・・・
著者を良く知らない私ですが、いやー、著者のアイドル好きが良く出た本でした。冒頭のNGT48から始まり、AKBの流れを汲むもの、地域独自のもの、秋元康の流れを組むがAKBとは違う戦略のもの、など全国、いや、世界中のアイドルについて知ることができます。
著者によると日本のアイドルの基本路線と言うものは、ファンと一緒に成長するストーリーを楽しむものだそうだ。人間が不完全で生まれてくるのと同じに、まだアイドルとしては不完全な状態から、どんどんんと成長していくのを楽しむ。これは中韓、アメリカなどのどちらかというとプロフェッショナルな完成した踊りや歌を見るのではなく、日本固有な考えなんだそうだ。
アイドルの初期のファンは自分みたいな中高年だそうだ。中高年は発信力が高く、その発信力によって人気を押し上げていく。そして若い人たちにファン層が入れ替わる。先の成長物語を考えたとき、中高年てのは単に「自分の子供見てるように楽しんでる」んじゃないだろうか。と感じた。
バーチャルで言えばずん子や黄桜すいなどの地域萌えキャラや、ふと知った朝倉さや、さんなどが自分にはこれにあたるのだろう。キャラクターコンテンツ、歌としての実力も面白いが、その周りにいるファンたちの活動がとても面白い。自分が出来る支援としてクラウドファンディングなどで小額でも支援などするが、同じような気持ちなのだろう。
五章で示すようにデフレ下にアイドルは強いがそれは収入が少なくなったときにリアルな異性ではなくバーチャルな理性にお金を使うため、とのことでリアルでも子育てをしている人たち、リアルで子育てができてない人たちがバーチャルな自分の子供を見るのではないかなと感じた。
日本のアイドルの成り立ちを語る上で、日本のサウンドシーンについて三章で説明しているがここは面白かった。大瀧詠一の分母分子論で、分母が明治から続く西洋の音楽、分子としてそれまでの日本特有の音楽、とし、日本のサウンドシーンは絶えず西洋のバックグラウンドを意識してきた。それまでの右派的な日本的な音楽と左派的な西洋の音楽が交じり合い、中道となる。それが時代を経て右派的になり、そのころ出てくる西洋の音楽は左派的に時代を彩る。
著者は途中でその文化的な影響について、ハードパワー、ソフトパワー論と言うのを持ち出すが、結局明治から続く西洋の分母を受け入れ、戦後はアメリカの影を意識しつつのミュージックシーン、悪い影響はあったのかと言うとそうではなく他国の文化がもたらされた事で多様性を増し、より豊かになったと言っている。
単一の文化や考えが未来永劫、発展していく訳じゃないし発展には他者などの多様性をどう受け入れていくかなのだろう。多様性を受け入れるとき、日本的な何かが消える!と危惧するのではなく、日本的な何かが別の何か?に発展を遂げるのを信じるしかないのだろう。自分には到底考えられないが。
自分とそう変わらない著者だけど、ほんとアイドルが好きなんだなと思わせる一冊でした。