arcanum_jp’s blog

おっさんの日記

「最貧困女子 (幻冬舎新書)」を読んだ。読んだけど何も出来ないよね

最貧困女子 (幻冬舎新書)

最貧困女子 (幻冬舎新書)

書店で有名人の推薦コーナーなんてあって、目に留まったので購入。まぁ、高見の見物気分で読むかね・・


と思いながら読んでたんだけど、壮絶すぎて泣きそうになった。ひたすら自分の娘がこうならないためにはどうすりゃいいんだろ?って思いながら読んでたよ。いつもの通勤に読む本じゃねぇなこりゃ・・

まず、著者が言うには、貧乏と貧困は何が違うのか?貧乏は単に金が無いだけ、人との繋がりや社会的な縁はまだ保てている状態。マイルドヤンキーなどの、貧乏なんだけどそこそこ友達とかとの連携も楽しいし、やりくりすれば生きていける。まあ貧乏もそれなりに楽しいんじゃね?と言う感じ。それが貧困になるとそれら社会的な繋がりすら無い状態。孤立無援になり精神的にも弱ってくる。そんな境遇に落ちた人たちのルポ。これを著者は本書では、「3つの無縁と3つの障害」が彼女らにあるからだという。

・親親族との縁が切れている
・地域との縁が切れている
・制度との縁が切れている

これらに重なり、さらに3つの障害

精神障害
発達障害
・知的障害

が重なり、本人の意思だけではどうしようもない状態にある女性たちが、どうやって生活をするか、日々の糧を得るかという事を著者は書いている。よく言われるそんな状況になったのは自己責任、この自己責任の範疇を超えた部分にいる彼女らの生活が書かれています。親から虐待を受け、まともな教育も受けず、半ば飛び出すように都市に転がり込み、親も知り合いもいない、そんな状況では自己責任と言わないでしょうに。


彼女らが生活する糧は有り体に言ってしまえば、セックスワークな訳なんだけど、本書では興味深いことに、彼女らでさえも救うセーフティネットがあるという所。仕事を失ったおじさんはタクシードライバーって昔から言われてきたけど。


部屋を借りるためには身元保証人、仕事に使う携帯を契約したければ本人を証明する何か、など何をするでも証明する何がが必要になるが、それらは手荷物一つなどで家を飛び出してきた少女たちには用意することはできない。もしかすると親が捜索願を出しているかもしれない。そんな彼女らにはそういった身元保証は自力ではできない。でもそれらを代行してくれる人達もいるということ。代行の見返りはその携帯なら毎月の手数料であったり、セックスワークであったらその手数料、将来18歳になったらの店員候補のための青田刈りであったり・・・


ここで普通に生活している人達なら「生活保護」や「行政」と言う言葉が出ると思いますが、そういった知識もなく、たとえ著者に脱出する方法を教えられたとしても、「出来ない」ぐらいメンタルがおかしくなっているのであり、行政は声を上げない人には冷徹だけど、それが先の行政との縁が切れているとなる。行政にも救い出せてもらえない彼女らはだれが救うんだろう。

そんなどうしようもない環境にいる彼女らだけど、本書では別の見方も出している。僕はこのデリヘル店長の言葉にぐうの音も出ない

あのですね。ユダヤ人と夜職の女は似ているんですよ。どういうことかと言うと、ユダヤ人てのは、何千年も前から自分の国を追い払われて、どこに行っても迫害されてきた人たちですよね。そいういう歴史の中でユダヤ人が見つけたのは、金や土地なんてものは、侵略されたら奪われておしまいってことなんですよ。だから彼らは、他人が奪うことができない知識とか教育とかを、宗教の中にシステムとして組み込んで、一生お勉強って習慣を当たり前にしました。ノーベル賞多いの当たり前ですね。

でもこれ、女と同じですよ。女にとって、最後まで奪われない財産ってなんですか?女であることですよね。風俗でトップの子らがどのぐらいの努力をしているか知ってますか?ファッション誌全部目ぇ通してメイク勉強してエステしてジム通いして、そうやって女の子は『誰からも奪われない女力』を磨くんですよ。女が女を磨く理由は、それが保険だからなんです。そうやって頑張っている子がいるから、店の側も必死にサポートできるんじゃないですか


これ、デリヘル店長に本書で代弁させたなって思ったんですが、普通に生活している僕らの理論ですよね。先の自己責任じゃないけど、自分たちは頑張っている。生き残るためにこれだけ頑張っている。生きていくためには毎日、意識的、無意識的になにかしらの勉強していかないといけないし、やっている。お前らそういう状況になったの自己責任だろ。


普通の人は普通に生活できていれば普通に生活できるだけのシステムになっている。その普通ってのは習慣がそうさせているだけであって、そういう習慣てのは今までの積み重ねであり、その習慣を作ってくれたのは自分自身ではなく周囲の親や環境と言ったもの。これは強者の理論なんだよね。生き残るための習慣をつけられた。もうちょっと言い方変えると教育を受けてきた強者だけが言える理論。マッチョ理論。


もうこんな状況になった彼女らはだれも助けられないでしょう。まだセックスワークすらできればいい、でも年齢が上がればそれも難しい。そんな状況で誰が助けるのでしょうか。本人が自分を助ける術ももたず、行政も助けられない(と言うより見えない存在)多分だれも助けられないでしょうし、あえて助ける選択肢なんか無いでしょうね。


そんな境遇だけど助けるとすれば著者が最後に言っているように教育なんだよね、教育をする機会を作ること。あとなるべく早い段階から彼女らを救う手立て、彼女らが救いを求める仕組みを提供する。それはたぶん、自己責任とか言う理論からは遠く離れた所にあるような仕組みなんだろうけど(本書にも書いてます)


読んでてなんだか気分が滅入ってくる本だった。。