arcanum_jp’s blog

おっさんの日記

職業訓練校で助けられた話

こちらの方のエントリに触発されてちょっとだけ書いてみました。

コードを書いて生きていきたい、と決意しプログラマに転身して もうじき10年目だ。どうにか思った通りの生き方を出来ている

http://blog.sugyan.com/entry/2017/09/01/023759


自分はSIer近辺で今はフリーで仕事を受けているプログラマです。自分で営業力があるわけでもなく、知り合いに仕事をお願いしている感じでそれはフリーと言うのかと思ったり、カミさんからはあ、フリーって・・・フリーターと同じでしょ?って言われたりなのですが、前職を退職してから同じようないわゆる上流から実装、運用までの設計にかかわっていたりします。どちらかと言うと業務設計から実装に移る際の、共通部分であったり、設計書に見えない基盤的なクラスであったりが見えてしまい、提案して作るのが結構多い、面倒くさい野郎です。


今は自分の事をプログラマだと思っているけど、まぁ前職もあわせてこういう仕事にはかれこれ20年近くいたことになっているし、今の仕事もなんだか楽しい。やりたい事もたくさんあり、知識を得る事が次への仕事の一端になっていたりする。という不思議な世界です。まぁ幸運な方ではないだろうか。ブラックブラック言われる業界でこんな風に生きる事もできますよ程度に読んでくれればいいと思います。

新卒期間

私の場合は他の業界からの転職でIT業界に入ってきたのだけど、一番初めの会社は機械工具商と言って、例えば今ハンドスピナーが流行していますが、アレに使われているベアリングであったり、切削工具としてのチップであったり、ドリル、エンドミルであったり、チャック、CNC、旋盤、スポットエアコン、通常の工具・・・etc、、、上げて行けばキリがありません。


要するに工場など企業が、工場(企業内)で使うすべての物を扱う中小企業の商社でした。もうお客がこの商品を欲しいと言ったらDIYセンターにでも行って買ってきてマージン付けて売ったりと言うのもありました。


この業界は基本的にメーカー、卸、商社、エンドユーザー(工場など)で分けられていて、メーカー、卸が個々のエンドユーザーと口座取引をするわけにもいかず(面倒ですよね)エンドユーザーはメーカー、卸と口座取引をしている商社から物を買うわけです。


卸は何をしているの?って方は結構いますが、メーカーは製品の大量生産したものを卸が大量に購入してくれるから生産計画が立てやすくなりますし、商社はその大量に購入した卸から購入するから安く購入できるわけです。単価は大量生産をすればするほど下がるわけですからね。また在庫がある程度卸で保てるので、商社内での長期的な在庫計画も出来ます。


この会社に入ったきっかけはと言えば、ちょうど自分がFランクの大学を卒業するときにバブルがはじけ、前の年とはうって変わって職業先がさっぱり無い状態でした。前年度までの先輩方は、就職活動すると電車代と称して1万円が企業から支給されていて、就職成金みたいなのもいたわけですが、自分の年になるとそれらは全てなくなっていました。その位バブルがはじけたってのは衝撃が強かったみたいですね。


なので、就職していつも聞かれたのですが、不景気になってお兄ちゃん(その頃23歳)大変じゃね?って。でもその不景気の状態から始まったのですから大変も何もこれが普通だよねって答えざるを得ませんでしたが。ただし、皆さんも分かる通り、そこから30年近くも景気は下がっていくわけですが・・・


自分はあんまり良い学生ではなかったため、20社ぐらいなんでもいいから受けては不合格を繰り返しているときに、その会社の面接で昔BASICでプログラミングしていました。と言ったのがきっかけで、入れていただいたのでした。文系の学科の人が来たのでけんもほろろでしたがそういう話をしてみて話が変わって驚いていました。芸は身を助く、って感じでした。


中学校から大学の3年あたりまでMSXでBASICまたは機械語でゲームを作って遊んだりしていただけです。ベーマガに載るぐらいなので、リストもそんなに長いわけではなく、今思うとほんとPCでのプログラミングのサワリの部分をやっていたに過ぎないのですが、自分にとってはアイデンティティみたいなもんだったんだなと。


仕事内容は、ルートセールスでお得意先を回り、上記のような商品を売ったり、修理を引き受けたりと、するのです。メーカーとかの商品カタログをもってまわったりするのですが、まず「利用シーンがわかんねぇ!」なので商品自体にさーーーーーーーーーーーーーーーーっぱり愛着は沸かないは、興味は持てないはでした。そんなでも売れたときは超楽しくて目の前が明るくなります。これほんと。でも売ったってそれは自分が作ったものじゃないし、、、と言う罪悪感があった気がします。


新卒でそういう業界に入った感触としては、工場ってなんだか斜陽産業だなぁ、その中にへばりついてあと数十年やっていたらどんな人生が待っているんだろう、先輩はいい人だけど、なんだか家を買えるような感じの給料でもない・・・と言う感じでなんとなーくですが屈折した日々を送っていました。今の若い人がすぐ辞めると言ったときに会社に対して同じような感覚を持つのではないでしょうか。ただ、自分の世代は転職に関して、ハローワークぐらいしか情報が無く、辞めた後の事が見えないためそれでも続ける、と言うのがデフォルトでしたが。


ちなみにですが、今の業界に入って思った事は、休みは比較的自由に取れるし、仕事の中での裁量(と言っても入った当時はロジックを決めるぐらいの)ってのは意外とあったりするなと感じました。前の仕事は基本的に毎日同じお客さんを回ってやる事は大体毎日同じでしたので。ただ、営業車で昼寝するとか、書店寄ってくるとかゲーセン行くという自由は失われましたが・・・(当時はポケベルも普及していなかったので、一旦会社から出てしまえば営業マンがどこにいるかなど分からなかったし、成績さえよければよかったのですよ)

PCを買う

これが自分にやってきた契機でした。

この頃、会社で唯一楽しいなと感じたのが、VAN用のPC(FM-Rっすよ)に入っていたDOSロータス1-2-3、これで見積もりフォームにマクロを仕込んで印刷したりと遊んでました。当然ながら仕事しないで何やってんの?でしたが。当時のロータスのマクロの特徴はなんといっても通常のシートにマクロを書いていくのですが、セルの結果がマクロ自身に影響するため、マクロを印刷して勉強しようとしても、意味がわかんねぇ!ってなったのを覚えています。マクロ自身が言語であり計算式なんですよ。


ロータス1-2-3のウインドウズ版が出て自分も使ってみたいなと思い、PCを購入。このときまだWindows95が発売されるちょっと前ぐらいです。コンパックのWindows3.1 CPUはDX-4、メモリは4メガだった気がします。ハードディスクですか?230メガですよ奥さん。もうその頃のスペックとしては少なかった気もしますがディスプレイ、ソフト合わせてお値段30万円也と。プレイステーション1が全盛の頃でちょうどその頃購入したゲームは「アクアノートの休日」です。


ちなみにPCを購入後数か月してWindows95が発売されるわけですが、ニュースにもなった、発売まで並んだり、と言ったことは仙台では一切なく、田舎は寂しいものでした。その頃よくいっていたシーガルのお兄ちゃんも「え?Win95の新発売イベント?やりませんよwww」でした。自分も特に興味はなかったのですぐに購入はしませんでしたね。


これでロータスのマクロで会社の今までのお客さんごとの売り上げ履歴からすぐ検索できるようにしたり(その頃のシステムはなぜか前方一致しかできなくて不便で、電話担当の女の子の勘に支えられたシステムだったのです)見積書を簡単に作れるようにしたりと遊んでました。インパクトはさっぱりでしたが。


あと、PCの中見てたらQBASICだとか入っていたりしてその頃まだ休刊していなかったベーマガに送って載ったり、Visual Studioを購入したりとだんだんPCが楽しくなってきたわけですよ。こういう仕事ってできないのかなと。やっぱ小さな満足だったけど、昔やっていたプログラムって自分面白いわって。

謎の施設、職業訓練

2年ほど在籍して、お得意先の受付の女の子と話をしているときに、職業訓練校と言うものを知りました。この会社にどうして入ったの?と聞いたときに、職業訓練校に行って・・・と言う話題になり、え?職業訓練校って何よ!ってなったのを覚えています。で、その職業訓練校ですが、そのお得意先の目と鼻の先にあり、その足で行ってみたのです。


突然行ってみて、職員さんも驚いていましたが、すぐに入る事は出来ないと言われました。


がーーーーーーん!

その場でパンフレットをもらって、時間的に大丈夫だったから辞表を書いて・・・会社に提出して・・・


もう記憶が定かではないのですが、職業訓練に魅力を感じたのは、IT業界の職歴が無いので、入りたくても入れない、しかし訓練中は職歴として履歴書に書ける。と言うものが大きかったです。聞いてみると、職業訓練校は年に2回募集しており、4月と9月から開始します。なので募集は2月と7月だった気が。なのでそれに合わせて1〜2か月ほど余裕を見て退職をしました。

公的職業訓練


 お仕事をお探しの方が、就職に際して必要な技能及びこれに関する知識を習得することによって、職業能力を開発し、レベルアップを図っていただくものです。対象者は、就職のためにスキルアップが必要な方で、積極的に就職活動を行っている方となります。

http://miyagi-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/hourei_seido_tetsuzuki/shokugyou_kunren/hourei_seido/syokugyoukunren.html


もちろん失業保険に入っていたので、その時の平均給与の60%とあと通勤費が支給になります。職業訓練の件に関してはこちらで書いていたのでご参照ください。過去の自分の無謀さが垣間見れて今見ると恥ずかしいですね。

自分がこの学校を知ったのは、一番初めに就職した会社で外回り(営業ね)をしているときにお客さんの女の子と話していて出たのがきっかけ。そのとき自分は営業なんてやってても身にならないなぁと思い、何か手に職をつけたほうがいいのではと漠然と思っていた時期だったので、凄く新鮮だったのを覚えています。

バカな自分は教えられた職業訓練校にいきなり行って「どうやればココに入れるんですか」と聞いてみて、職業訓練校の募集時期に合わせて会社を辞めるように動きました。入れる当てもないのに。今思えば相当無謀だったなと感じます。

http://d.hatena.ne.jp/arcanum_jp/20080430/1209561841


今の業界の「初心者歓迎」を見ると実はなんとも無駄な時間だったような気がしますが・・・^^;


退職して職業訓練校の募集待ちの1〜2か月の期間、VBを買ったりして自分なりにソフト作ってみたりして遊んでいた勉強していたわけですが、ハローワークからはこんな電話がかかってくるわけです。


ハ職員「この求職情報ですが・・・」
ハ職員「手取り14万ぐらい営業で個人経営・・・あなたの職歴に合わせ・・・」
自分「(うは!なにそれorz...)いや、、、ちょっと・・・」
ハ職員「(怒)なんでこの求職はダメなんすかね・・・イライラ」
自分「・・・あ、、いや、、、職業訓練校に入りたく・・・」
ハ職員「クッ・・・」


みたいな・・・当然退職後ハローワークに行って面談を受けた時に、職業訓練校に行きたい旨は伝えているのですが、そういえばハローワークの職員さんも職業訓練校の募集についてさっぱり知識が無かったのを思い出しました。この制度、知っていると知らないとでは大違いな感じがしますね。まぁ自分の場合も入れる可能性すら確実じゃなかったのですが。こんな期間を過ごしているうちに職業訓練校の募集が始まり応募してなんとか入所が決定するわけですが・・・

職業訓練実際

失業保険がある状態で失業すると辞めてから3か月後から支給されますが、この職業訓練校と言うのは、入った月から支給されるようになります。この職業訓練が面白いのは、その期間、午後4:00までの授業にいるだけで辞める3か月前の平均給与から加味された額+交通費が支給されるというものです。逆に授業にいない場合は支給額が相殺されます。じゃぁ求職活動でいなかった場合は?その場合は免除され、授業にいたことになります。自分が所属した職業訓練校では、人により出ていてもツマンネェって人もいて、給与相当をチャラにしても授業に出ないという人もいました。


また、失業保険期間が終わる1日前に入所してまた6か月失業保険が延長された方、国際結婚で中国で生まれて日本に帰ってきて、就職がおぼつかないので職業訓練をしたい方(当然片言の日本語です)、大学は出たけど就職口が無いからとりあえず職業訓練、ホスト系業務から転職をしたいから職業訓練だけど、辞める3か月前はとにかく残業やってやってやりまくって、支給額を上げてた人、(この人面白い経歴でフランスに行ってたのですが、金もなくなり、病気になり強制送還されたとか言ってました。この人が言うには「俺、背が小さいけど、あっちでこういう背格好って格好の餌食でさ、ガタイのいい奴から見たら穴彫るカモだった」と・・・怖い・・・)


とにかく失業保険を得ている人以外にも色々な人がいて、職業訓練と言う名前で広く門戸が開かれています。退職後に職業訓練校に入りビルメンテなんかの職業訓練をしながら給与と同等額を得る期間てのがそういう年齢の方のパターンもあったみたいです。そういう例では同じホスト業務を行っていたと思われる人ですが、もうIT業界には戻りたくない(けどここにいる)と言う人もいて、たぶんアレも今考えると失業保険の給付が早まるからだし、失業保険を得るためなのだろうなと。


自分が入った情報課と言うのは、一通りの旧2種試験みたいな科目は6か月でやっていて、コンピュータの基本のキの字ぐらいは分かるようになっていました。但し、言語教育はなかったです。座学でやる事を覚えてねと言った感じでしょうか。自分がここの恩恵を受けた最大は、ブラインドタッチの訓練だった気がします、ソフトを渡されて自由に使っていいよ的にされました。それまで2つの手の人差し指でキーボードを打っていたのですが、訳1か月も暇な時間に練習して、ワープロ打つときに意識的にブラインドタッチをするようにしていました。


授業自身は普通にコンピュータを使っていたり2種をちょっと勉強すれば分かるようなものなので、人によっては内職(試験勉強)をやったり。自分はC言語アドミニストレーター試験の勉強を自主学習していたりしました。とにかく失業保険に入っている人は、勉強に対してお金がもらえるのだからこれほどいい事はありませんよね。


授業は午後4::00までで、それが終わると教室を掃除して帰ります。確か機材も自由に使っていいので終わった後に勉強する人もいました。例えばその頃はワープロ試験なんてものもあったので、先のブラインドタッチの訓練をする人なんかもいたわけで、、、(ちなみにその頃のワープロ試験は、自前のワープロもって会場で試験するというものです)


職業訓練期間は6か月ですが、だんだんボロボロと人がいなくなっていくわけです。え?なんでかって?そりゃあなた、就職すれば訓練校に来る意味ないですから。「今日就職できたので明日から会社行きます!」とか満面の笑みでそういった話を聞くたびに、まぁ喜ばしい事なんだけど、なんだかいなくなっちゃうのか・・・と言ったお前は学生か!って感じの感情が・・・あの環境にはそういった雰囲気はありましたね。学校出て入った人は失業保険などあるはずもありませんので、目的、危機意識はしっかりしているのですが、自分みたいな、失礼ながらいるだけでお金になる人たちはどっちかと言うと危機意識に欠けていた感じがします。


あと、期間内では、色々な会社を招いての会社説明会もあります。そこで面接して就職される方もいるわけですね。自分はそこに来る会社にIT企業は無かったので興味も持てませんでしたが。

就職活動、そして転職

自分の場合、6か月過ぎても就職できる事はなく、自分で仕事を探しました。ハローワークに行ってIT企業っぽいのを探したり、書店で売っている就職関連の雑誌を見たりです。その中でいくつかこれは!と言うものがあり、面接などしたのですが、例えば某液晶で有名だったメーカーなんかも倉庫のシステム関連で募集していて、仙台離れるのオーケーならいいよってなってりして、あそこに決めていたら今はどうなっていたんだろうなと思ったり。


自分は履歴書と、例えば先の会社で作ったようなマクロ(その頃はVBAで作り直して)を同封して参考資料として送ったりしてました。そうこうしているうちにいくつかの会社さんんから返事をいただき、無事自分が探していたIT業界と言うものに入ったわけです。


ちなみに入った会社さんでそのVBAの評価を聞いたところ、モノ自身の品質や作った実績とかが採用に加味されたわけではなく、単に2000年対応としてとある企業が人を募集しているから雇ったに過ぎないとのことでした。orz...


やっぱり職業訓練校なんか行かずにちゃっちゃと初心者大歓迎!を見つけて応募すればよかったのでした。まぁでもあの制度が無けりゃあのまま機械工具商社で営業をしていたかと思うと、まあ助けられたわけですね。

続く