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おっさんの日記

日本史リブレット、古墳とその時代

 

古墳とその時代 (日本史リブレット)

古墳とその時代 (日本史リブレット)

 

 

古墳代時代というのは今から1700年ぐらい前、3世紀から7世紀後半まで、西暦で言うと、AD200年からAD699年あたりまでです。大化の改新の時代もギリ古墳時代に入るのですね、、BLやってた大海と中大兄皇子の漫画ありましたが、あの頃も入るのですよ奥さん!

 

 

弥生時代から古墳というものは確認できていたけど、弥生が終わり古墳時代へと入り何故か古墳が同じような形で巨大化してきた。この謎を解くため我々はアマゾンの奥地へと旅たつのであった。

 

日本の古墳の特徴というのは、中国や朝鮮と異なり、巨大化していった事、また副葬品が呪術的なものから武具などに変わっていった事、周囲が堀になっている事などがあげられ、形も弥生時代と異なり画一的な前方後円墳となる。これらは大和政権の指示ではという仮説もあるけど、著者は、実はその頃の全国の首長たちが連合となり合意の上でそういう特徴を作っていったのではと。

 

以前読んだ「弥生の村」で読んだように九州にあった奴国や伊都国が朝鮮からの先進的な技術を使った品物のハブ的な存在として潤っていたわけだけど、その利権を奪取するために現れたのが卑弥呼を中心とする周辺の首長が集う邪馬台国連合というのが著者の主張。

 

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そしてそのハブを奪取し時代は下るわけだが、呪術を中心とする邪馬台国よりもそんな呪術に頼らない中央集権的な政治集団の長として大和政権が誕生したのではと。

 

その時期の古墳の形が同じなのはその首長たちが積極的に古墳作りに関わり、同じような古墳を作っていったのだろうと。

 

国内の事情はそうとして、古墳の副葬品は5世紀を界に先に書いたように呪術的なものから武具などに変わっていく。例えば騎馬に使う馬具である。このなぜ副葬品が馬具などに代表する武具に変わっていったのか?少なくとも4世紀付近は倭国馬術にはてんで興味を示さなかったのに!!その疑問に答えるのが4章。

 

1つは江上波夫氏による騎馬民族による征服説、もう1つは岡正雄氏によるそれまでの縄文文化の幾重にも重なる様々な文化に朝鮮の扶余や高句麗から伝来した渡来人が表層的に騎馬文化を含む父権的ウジ氏族的支配者文化を形成したという説。

 

どちらの説もその時に渡ってきた渡来系の人が今の天皇の系譜を作っていったというのは共通している。

 

前者の騎馬民族による征服説は今では否定されているが、朝鮮にあった高句麗が南下する事により、倭国が交易してい百済新羅、加那国が危機的状況になる。そこで考えたのが倭国を懐柔して連合を作るという案。

 

そういった事情があり、倭国側でも朝鮮の騎馬文化を受け入れそれが古墳の副葬品に影響していったのではないかと言っている。本書ではその受け入れた騎馬文化の周辺技術、金属加工、製陶や学問、芸術、思想など多岐にわたり倭人の文明化の転機になっていった。

 

そういった大陸側の圧力があったから文化を受容したとも言えるが、そういった刺激を主体的に受け止める主体性は先に縄文文化があり、弥生時代を通じ農耕文化を受け入れ、その上で先進的な文化を受け入れる柔軟性があったためであると締めている。

 

面白い、、面白すぎる。この時期の歴史は日本では文字がなかったために中国の文書や古墳の副葬品などから想像するしかないのだろうけど、ロマンだな、、

 

以下、メモ