- 作者: 斉藤章佳
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2017/08/18
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ツイッターのタイムラインで話題になっていたので読んでみた。
痴漢になる男と言うと、色々と「性欲は強いけれど、もてない男」みたいなキモイ人、どうしようもなくなって犯行に及ぶ的なイメージあるけど本書によると、痴漢になる男と言うのは、至極普通な人と言う事です。4年生大学を卒業して普通に働いている、普通に結婚して子供もいる、と言う人が多い、そういう人が実情に沿った痴漢犯罪者像だそうです。
ストレスに悩まされ続け、ふとしたきっかけで痴漢と言う行為にハマる。本書によると、偶然手が女性の尻に当たった、から始まり、何も起きなかったために、次に故意に押し付けてみた、と言った風にだんだんエスカレートしていく。そうやって痴漢のスリルを味わう常習犯になるとのこと。人の痴漢行為を目撃し、自分もやってみて常習犯になったと言うパターンもあるそうです。
痴漢行為そのものが性的な興奮で行っているわけではない、と言うのも興味深かった。そういった人たちがなぜ痴漢をし続けるのかと言うと、「ストレス」に対するはけ口、簡単に言うと、弱者に対するいじめみたいなもん。普通ストレスにさらされると人はお酒を飲んで憂さを晴らすや読書など色々とはけ口を持っているけど、それが痴漢そのものがはけ口になると言う事。捕まるかもしれないというスリルはものすごく強烈なインセンティブになるのだろう。
本書では痴漢の治療はストレス対処法(コーピング)を見つける事が書いてあったが、痴漢犯罪者にとって日ごろの痴漢はストレス対処法そのものであるって事。これだけ自分は頑張っているのに!これだけ我慢しているのに!がこれだけ頑張っているのだから痴漢しても許される、と言う認知のゆがみに陥る。痴漢犯罪の人達にとって痴漢被害者は、実は喜んでいるとも認識しているともいう。
例えば被害者を物色する際は毎日同じ時間、同じ車両に乗る(誰にも言いそうにない)女性を選ぶという。この、同じ時間、同じ車両に乗っているという事実自体が痴漢犯罪者の認知では「痴漢されたがっている(から同じ車両に乗っている)」という理屈になるという事(だから俺は痴漢をやってあげるんだ)。これは読んでいて面白いなと感じた。自分の反社会的な行動を自己正当化するために認知を曲げるという事だろうか?普通ならそんな風には考えないですよね?
普通は、と書いたけど、先にあるように痴漢常習者になってしまうきっかけなんて誰でも持っている。ストレスなんてみんなさらされているし、電車で隣に女性がいてたまたま手が当たったなんてあるかもしれない。もしかしたら明日の痴漢は僕かもしれないよね。タマタマ自分は電車の中は読書をするってコーピングを持っているからなっていないだけかもしれない。
著者は痴漢犯罪者に対する治療も行っていますが、その中で、痴漢を辞めて得たものは、家族や身近な人の信頼関係や、たくさんの時間、などポジティブなものが帰って来るが、逆に失ったものという問いにはなんて答えるでしょうか?本書を読んでいるとうすうす感じてきますが「生きがい」だそうです。痴漢と言う行為は既に加害者にとっては日々スリルを得られ、ストレスを解消できるものになっているのですね。
本書では痴漢犯罪者の治療についてもいくつか書いており、読んでれば感じるのは依存症を直す事そのものだなぁと。完治はしないが行動しない事を続ける事はできる。そのためには対象者に別のストレス対処法(コーピング)をしてもらうようにする。被害者には大変気の毒だが、この人達が再犯し、多大な行政の費用をかけるよりは一刻も早く、治療により治ってもらう、普通の生活に戻ってもらった方がいいのではないか?と感じた。