arcanum_jp’s blog

おっさんの日記

「地方議会を再生する (集英社新書)」を読んだ

長野県の飯綱町にある議会の再生ストーリーで、元共産党の寺島議員と言う方をリーダーにして最低な議会から最高な議会へと改革していく様を書いています。途中は2つの村が合併し、飯綱町に至るまでの主人公である寺島議員の半生も含め色々とその地方にとっては恥とも言えるような内容が書いてあったりします。


地方議会と言うものの存在は自分にとっては、何をしているか分からない人たちと言うイメージですが、首長(町長とか市長とかのトップですね)のやっていることをチェックする。立法機関、という二つの側面があると書いています。ただ、本書にもあるように、たいていの地方議会は首長の追認か拒否であり、まっとうなチェック機能機関としては機能していないと言います。自分の住む富谷市でもオンブズマンが市の公開文書から見る議会はなんともまぁ・・・と言う感じしかしません。


本書での改革の中心は「住民との対話」「政策サポーター制度」の2つでしょう。住民との対話はまず改革前に行った事が現状の分析で、自分たち(議会)による分析ではなく、住民による声を聴いた事。そして、自分たちが気が付けない所などを住民の中からサポーターを募って政治に参加してもらうと言った事です。結果はとても上々でこの活動から議員になった方や一般の方でも政治に興味を持ってもらったなど住民側が変わってきた事。


寺島議員は漫画「墨攻」に出てくる主人公の革離と同じだなと、彼は本の中で戦争職人と言われます。戦争中はヒーローになれるが戦争が終わり平時下になると逆に疎まれる。戦争を求めてさまようしかない。そんな感じだったと思いますが、寺島議員も議会が残念と言う緊急時でこそ活躍できたのかなと。


飯綱町の地方議会は寺島議員のリーダーシップあってこそ出来たと言っても過言ではありませんが、本書で別の議員が言うように、ある意味強引でもあったわけです。今はリーダーたる寺島議員がいるから良いですが、この方がいなくなった後どうなるのでしょうか?普通の議員が普通に回せる仕組みが必要なのだなと感じました。それは我々サラリーマンと同じです。誰が欠けても回る仕組み。議会を再生するというここ数年は臨時下にあったわけで強いリーダーシップが必要なのもわかります。でも、再生が進む中で次に求められるのは臨時下で活躍できる人ではなく、平常時に(普通の人が)活躍する人材、仕組み(時代に合わせた改革も)、なんでしょう。


本書の中でもその辺に気づいているみたいで、例えば議員の成り手を増やす事が必要と。それには議員報酬の増額が必要。飯綱町の例だと1か月の給与が16万円ほど。年収にして200万も行かないわけです。これだと正直なりたいという人はいないでしょう。依然として議員と言うのは、他に職を持った社長、地域の隠居して年金生活の町の名手のものなのです。制作サポーター制度と言うのがうまく行ったように見えますが、裏を返せば住民の様々な意見を吸い上げる事が難しい、情勢を理解せずに未来に生かせない人たち、世代しか議員にいないという事です。早く隠居しろと言う感想しかありません。


本書は議会のダメさ加減から見た本であって、議会の駄目さ加減と言うのは実は住民の民意の鏡なわけです。住民が本来議員になってはイケナイ人を選んでしまっている。議員へのチェック機能になっていないという事です。早く隠居しろと感じたとしても出来る事として飯綱町では先の2つの政策が実を結び始めたという事ですが派生して議会の考えに付いていける住民のレベルアップも必要なわけでこの本を読んで馬鹿じゃねぇの?と笑ってはいられないわけです。

まぁ、自分もだが、住んでいる住民も残念なんだなぁと思ってしまう本でした。