
- 作者: 小島剛一
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1991/02/01
- メディア: 新書
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ツイッターのフォロイーさんがお勧めしていたのでとっさに買ってしまった一冊。と言うのは多少、嘘で、先日ムスメにジュースを餌に一緒に本屋に行っても見つからず別の本を買ってしまったし、、、と後悔しながら後日2、3件回ったら見つけたので購入。
トルコといえば小島剛一著「トルコのもう一つの顔」がものすごく面白かった。トルコを二回も追い出された言語学者の体験談。 https://t.co/2q6URfenzJ
— 伊津野 英克 (@hidekatsu_izuno) 2016年7月17日
正直自分にとってトルコなんて全然興味がわかないし、遠い昔に習ったオスマントルコ帝国ぐらいでそのあった場所すらはっきりとは言えない。そんな遠い国です。自分にとっては。なのでお勧めされなかったら本屋に寄っても手にすら取らないし、買わないしというレベルですね・・・なので買うときも、まぁ、、、ほんとに面白いんだろうか・・・難しそうだなぁ。。めんどくさそうな本だなぁ・・・とやっぱ買うのやめようかなとか思ったりで購入したぐらい。
そういえば先日トルコでクーデターがあったなぁとニュースをたどるぐらいかな・・・とおもいつつ購入して・・・読んでみたけど・・・
・・・
面白い!
読ませる文章である。まえがきがトルコについての自分の思いを述べる前にキリスト教などの文化について触れそこから入る。、え?一瞬なんの本を買ったのだ?となるがそこから著者のトルコへの思いがつづられていく。そこから僕はこの本に没頭した。面白い。こんな世界があったんだ。本は著者のトルコ狂いでトルコに通って専門の言語学から見た旅行記です。現代トルコ版、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』 みたいなもんだろう。
2章まではほんと著者のトルコであった温かい話などトルコのいい面が語られる。何度電車の中で胸が一杯になり目頭が熱くなったことか。でもそういう面だけではなく、人種、宗教などの違いによる軋轢などが紹介されていく。例えばあの辺の宗教と言えば回教徒。僕らには回教徒は一つだけというイメージもあるが、アレウィー教などあの地域の人からみても差別があったりと正直、僕がその場所に行っても違いは分からないだろうなと。それぐら人々は色々なレイヤーの顔を持つ。
トルコと言う国は、ソ連、イラン、イラク、シリア、ギリシャ、ブルガリアに囲まれたところにある国で、著書を読むに、トルコと言う大きな国に著者の言語学という視点からみると色々な言語、民族、宗教がある地域。人種、宗教、言語、それらが何層にもレイヤーとなって理解が出来ない。ほぼ似たような民族、宗教、で構成された日本人にゃ理解は出来ないだろうなと感じた。
たびたび出る、クルド人の話にしたって、たまたまイラン、イラク、トルコ東部、その場所にいたという理由で複数の国にまたがっているとか、そのクルド人にしたって、その中でも色々な言語があったりとクルド人全体では統一した言語はもっていないとか、世界は二重三重に見えないレイヤがある。トルコ人ではないと言って逮捕され、何年も拘留中の息子を誇りに思うとか、ほんと日本人にゃわかんねぇ感覚なんだろうなと、それはそれで今までの我々はほんと幸せなんだろう。
国家として見た場合、ひどいことするなあと言う感覚だけど著者の経験してきたことから、複雑極まりない土地に生きる人たち自身は自分のコミュニティを理解してくれる人に対して別の顔を持っている。本書のタイトルとなる裏の顔だろうか、いや、公式にはトルコという国だけど、この地域には色々なレイヤーがありそのレイヤーごとの顔がある。日本人(自分)はトルコは国としてのレイヤーしか知らないので裏の顔に見えるということではなかろうか。にしてもそれで分かった気になっちゃいけないなあと。別の顔を著者の切り出しで見ているだけだから。そもそも理解するなんてのがお高くとまった自分の思い上がりなんだろう。