なぜキリシタンの本を買った。。過去の自分にそう言いたい。正直キリシタンなんて興味ないし、、、本屋で一番困るのは「何読もうか?」なんだけど、まぁこのシリーズなら興味ない分野でも読みやすいだろうと言う形で購入したんだと思う。
現代の日本人は信じる宗教は無いように見えるが季節のイベントにおいて寺に行ったり墓参りをしたり墓の埋葬は寺と生活の節々に仏教との関わりがあり、生活の節々では仏教色が強いと感じる。
江戸時代における寺はどう言う役割を持っていたのだろう?と言うのをキリシタン禁制の成立と絡めて書いている。前半はキリシタン禁制についてどのように運用されていったか、後半はキリシタン禁制と同時期に始まった寺檀那制度による村人の把握で寺の役割について。
江戸時代初期の1612年に発布された五箇条の条々でキリスト教が禁止となったがそれまでは村々の人々の戸籍と言った形の把握は正確には行われていなかったようだ。実はここの頃に今では普通に感じる「家」を基本としたものが農村にもでき上がってくる。領主側はこの変化に合わせて人を把握する必要性に迫られる。取れる年貢に影響するからね。この辺の家制度の成立は以前読んだ「近世村人のライフサイクル」でも書いてあった。
キリスト教は禁止されたが当時キリシタン大名など大名自身がキリスト教だったところもあったりもあるが、直後に弾圧が始まったところ、何も起きなかったところ、キリシタンがその頃から宣教が始まったところなど各藩での禁止の動きはバラバラであったようだ。
その中で起きたのが有名な島原の乱(本書では天草・島原一揆と言う表現)この内戦とも取れる騒動に対する幕府側の弾圧、それに対する執拗な闘争を目の当たりにし、宣教師を死罪にするのではなく、仏教への帰寄へ梶を切る方向へ井上筑後守政重という人物が行った。また、それによりキリシタン禁制の実行が各藩から公儀に移っていった、権力が集中していったと言うこと。
そこから宗門改と言う役職が出来上がり先の井上筑後守政重が初代宗門改役となる。ここまでが島原の乱があってから約30年、なんとも現代から見れば気の長くなる話である。
まずキリシタン達を把握するために作られた宗門改帳。これで全国の村にいるキリシタンなどが把握されていったが、島原の乱から30年も経てばキリシタンの脅威は下がってきている。また、この頃に成立した小農経営の展開による近代の家制度成立により各家を掌握する必要が出てきた。そのために寺壇制度と宗門改帳が(再)利用されるたのではないか?と著者
寺壇制度により村人たちはどこかの寺の檀那として登録されることで村々は把握されていったが寺は村人にとって季節の墓参りや縁日、埋葬など現代の自分たちが思いつくような関わりの他に村人の生活と密接に関わってきた。
例えば「講」講と言うとネズミ講なんかを想像してしまうが日本では結構、講という制度は色々あって、自分の実家の方では今でも毎月少ない金額を出し合って死ぬまでは面倒を見るみたいな講がある。民間で作る最低限の年金制度みたいなもんね。毎月1万とか出して順番にその全額を総取りすると言う講も聞いたことがある。そう言う講は庶民に大金を使うチャンスだったんだね。
本書では他地域への参拝のための積立的な講があったようだ。ほんの一部抜粋
この他に庚申信仰と言う地場にある宗教に対する講などおよそ寺とは関係ないようなものの講などもある。これら村人が作成した講の講定を寺が証明するなどしている。
本書のタイトルとして民衆の宗教とあるが本書を読む限り、寺と言う自分の菩提寺はあり、仏教は営まれていたが色々と理由をつけては他寺院の参拝や仏教とは関係がない宗教の活動など、なんか、色々と今の日本人に通じるなぁとなった。クリスマスを祝う日本人笑えない。
また、寺の役割として村人と領主との交渉の際の仲介人としても機能していたようだ。例えば一揆が起きると村人の要求を領主に伝え、交渉する。その逆に藩の要請に応じて一揆勢を説得するなど。その際に一揆に襲われた人々の避難場所としても機能し、一揆勢の集結する場としても機能する。カオスだなこりゃ・・・
ただ著者によればこう言うことができるのも日頃から上記で書いたような村人との密接な関係があったからだろうと。日本人の生活には寺が重要な役割を持っていたと。
キリシタン関係かぁ、、、さっぱり興味ないなぁと読み始めた割には、面白さ満点の本であった・・・