書店で何冊か本を抱え、意気揚々とレジに向かう僕、レジの横に山積みされていたのに目を奪われた、あぁ、そういえばTwitterで話題になったなぁ、あの図はなんとも衝撃で、色々とTwitter上でもネタにされてたっけ・・・どんな塀の中の人たちが読めるのだろうウキウキ(そこまでは無いが)と、購入。
著者が少年院で見てきた非行少年たちには少なからず、もともと認知機能の弱さ、融通の利かなさ、対人スキルの無さ、不適切な自己評価、身体的な不器用さ、など他の子にはない特徴を持っていたわけで、それらが原因で虐待を受けたり、いじめを受けてきたりと、学校の教育についていけなかったりと
そのような子供が小学校2年ぐらいからデキナイサインを出していたのだけれど、小学校はなんとかなっても中学になると中学校の壁で脱落、非行として噴出、事件となって現れ逮捕となる。それらの子は著者の診断では知的障害の境界で本来なら支援をうけた方が良い子などがいると言う。
それらの子は障害による行動が理解されず、家庭、学校の支援を受けられずに非行化して矯正施設に入ってもさらに理解されず、厳しい叱責を受け悪化する。社会に出ても理解されず仕事が続かず再非行に繋がるという負のスパイラルに入っている。
以前読んだ「最貧困女子」でも同じような指摘があり、精神障害、発達障害、知的障害などがあり、それらが元で親族、地域、行政との縁が切れている。そのため都会に出てきて性産業などに取り込まれていく。
少なからず日本の中にはそう行った精神障害の境界上の人たちがいて、本書ではだいたい人口の16%ぐらいはいると言う。16%って言うと色盲が全人口の5%程度だからその3倍はいるし、10人会ったら1人はそう言う方と言う計算となる。必死に隠しているか、本人も気づかないうちに社会に慣れているのだろう。実は自分もなのかも。こんな奴ら普通いねぇよって思ってしまうが、その普通はどこからくるものだろう。本来世界は危ういものなのかもしれない。
話題で読んでみたけど、全てがそういう少年たち、ではないのだろうけど子供を持つ身としてはちと切ないなあ、、という感想。彼らの少年院に来るパターンとしては先に書いたように負のスパイラルで逮捕されると言うもの。連鎖の中に入るともう個人では抜け出せない。その中で犯罪となり逮捕される。そのようなスパイラルに入らないように早くから救う社会的な仕組みが必要なのだろう。
逮捕は本人は気づかないかもしれないが、本来少年院はそのスパイラルから抜け出す希望、既にある社会的な仕組みなのだろう。ただし、少年院に入ったとしても、障害その他の頭の構造が反省以前なので気づけないが。
最後はこのような人たちや、この本を書くきっかけになった、刑務所にいる方々の経済的損失、その方々が1人でも多く普通の納税者になったら莫大な経済的効果であろうと締めているが、制度そのものは政治家を動かす必要がある。ただ、政治家は有権者(国民)の鏡だ。その国民がこう言うやつらは自己責任といった雰囲気が蔓延しているのでは、期待薄なのだろうなぁと。