「奴隷のしつけ方」を読んだ。
- 作者: マルクスシドニウスファルクス,ジェリートナー,橘明美
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2015/05/28
- メディア: 単行本
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興味を持ったのはこんなツイートから。
昨日の世界ふしぎ発見!で、ポンペイ最盛期の奴隷が想像以上に優遇されていた件、識者が「生かさず殺さず不自由なく暮らしてもらい子供も作ってもらい労働力を提供してもらう、今で言えば言葉は悪いですがサラリーマンの立場ですね。」と言っていたのか衝撃過ぎてそれ以外ほとんど記憶に残ってない。
— かたっく (@ka_ta_ck) 2015, 10月 11
(((( ;゚д゚)))アワワワワ
んで装丁のイラストを描いたヤマザキマリさんがツイートで今ごろ売れている的な事言っててこの本を知りました。
そうかあ
— ヤマザキマリ Mari Yamazaki (@Thermari) 2016, 1月 21
SMAP報道の煽りで古代ローマ人の書いた『奴隷のしつけ方』が売れてるのか…
何がどういうきっかけで売れるのかわからんものだhttps://t.co/ZOzWXTDlDW pic.twitter.com/91HbbZ0EFI
最近なんで売れたかってのは某スポーツと音楽に集められた人たちの解散騒動だったらしいのですが・・・この記事が発信元みたいです。
芸能ネタはよく知らないが、所属事務所の経営者姉弟は、80才代という。しかもその経営者は、青少年に対する性的虐待疑惑まである。芸能界にはトラブル状態で独立した人の仕事を干す、「中世」のギルドや、同業者仲間(座)のような慣行があるらしい。老人に労働者の自由が束縛され、社会とメディア(特にテレビと雑誌)が小さなエージェント風情にひれ伏す。生放送で5人を黒服で反省の言葉を述べさせるのも「制裁」のニオイがして気味が悪い。また権力に屈服した感じがして、それも気持ちが悪い。
http://agora-web.jp/archives/1667223.html
正直そっちは興味ない・・
さて、
さて、現代のサラリーマンのようなものって言ったって片や自由の無い身、片や自由はある身、何が違うんだろうなと読んでみました。
著者は古代ローマ人のマルクス・シドニウス・ファルクスという人物、と言ってもこれは本当の著者であるイギリスの古典学者であるジェリー・トナー教授が作り出した仮想のローマ時代の貴族。そのローマ時代の貴族が、奴隷制度やそれに関する習俗を、これから奴隷を買いたいと思っている人向けに書いた本だ。ややこしや・・
先の著者マルクスの言うローマを知るにあたっては、著書全体にいえることだけど、その時代の奴隷に対する考え方が、ストア哲学と言うものから来ている。それは、ギリシャ人なんかは奴隷は生まれながらにして奴隷と考えてたのに対しローマ人はそう考えていない。主人はあくまで奴隷の肉体を所有しているのであって精神は自由と言うもの。そもそも誰もが何かの奴隷。奴隷は肉体を所有されてるのであって精神は自由だし、高潔な行動を取る奴隷もいれば、食欲など欲の奴隷となっている自由人もいる。そもそも奴隷の末裔たるローマ人に奴隷とは何かしらはとは意味がないと著者も言っている。
ローマは連れてこられた奴隷が自由になり、ローマ市民権を得ることもあれば、逆にローマ人が困窮から奴隷になるという例もあったそうだ。そうしてそれゆえに多くの地域の民族が吸収されていった。と言う。なんか階級が固定されているイギリスとその逃げた人たちの国アメリカだよねこれ・・・なんて思ってしまった。まったく関係ないけど。でも社会全体が対流するからこそいろんな人を飲み込む力があったってことだろうね。
著書は、奴隷を買って実用するための指南書であるとおり、奴隷の買い方、活用法はもとより罰し方、最後は解放までの方法を指南します。その間、奴隷についての性であったり奴隷とは劣った存在か?とかであったり奴隷の楽しみなどの、当時の奴隷と言う視点から見たローマの文化を書いています。
ストア哲学と言うのもあるだろうしアレンジされているんだろうけど著者はなんだか現代人っぽい考え方をしています。たとえば第2章では奴隷の活用法として、ローマ人にとって奴隷とは家電製品のように、所有するのが当たり前のものであるといいつつ、、奴隷は鞭だけでは動かない、疲弊するだけである、妥当な使役があるといい、適正な扱いは奴隷もモチベーションを高く自分を長く支えてくれる、単に無茶は損だよといいます。
また、短期的な報酬としては使役にあった食事、よく働く奴隷には多めに、そしてよく褒める、長期的視野では解放されるとか家族を持てるとか、自分の好きな自由時間といった実現できるような報酬をといいます。こんな考え方サラリーマン涙目ではないだろうか。
結論として、奴隷とはサラリーマンみたいなもんだったんだろうか?と言うのは所感としては一部そうであり、いやそうじゃないなあ、、と言うモヤモヤしか得られない。著書で主に扱っているのは農場奴隷ではなく家内奴隷で自分が思い描いていた奴隷とは異なり色々な日常が自分達に重ねられるてのはある。でも、サラリーマンにはローマ人風に言えば主人、を変える自由もあれば、自分が主人にもなれる。奴隷にはそれすら出来なかったんだから、違うんじゃねぇの?としか思わなかったな。