軽く読めて以外と面白い日本の歴史についてのあれやこれやが手に入る日本史リブレット。まだまだ読んでます。
おお!中世の家についてと性のことか、、、セックスとかそう言う事情が語られるのかな?これは興味深い。。。
北条政子は生前は政子とは呼ばれてなかったそうな、しかも北条ともよばれていない。位階(功績のあるものや在官者に与えられる栄典の一種)を文書に書く必要性が生じ、父である北条時政から政を取ったそうな。子は当時、位を有している特別な女性のみが良い字に「子」を付けた名前を持つことができたので「政子」生きている間彼女が自身から政子と称したことはないと。
しかも北条を付けて呼ばれるのはここ最近、昭和以後だそうだ。なるほど、、、ん?ここから始まる北条政子のセックス事情か?中世のそう言う事情だな!そう言う事情だな!僕の心は踊る。
しかしその思いは辛くも崩れ去る。本書は中世の氏制度から家制度になる時期における貴族、庶民の性(ジェンダー)がどういう扱いを受けているか?についての本。えええ?あとは消化試合。。。
以下、面白いなぁと感じた物をツラツラと。
まず家についてだけど、江戸時代以降は特に家と言う単位が制度から色々な部分で意識されるようになったけど平安時代の中世はまだ家とい概念は成立しておらず、「氏」と言う単位で構成されていたようだ。これは族長を頂点とする血縁関係なく構成される集団として天皇に奉仕する組織。これが中世を経て、血縁を中心とした「家」制度へと変換していく。
結婚は基本的には女性側が男側の家に行き生活する形だったようだ。女性が男性側の家に行き、その後夫婦で別の家に移る。ただし、面白いのは結婚に際し主導権を握るのは女性側の親と言うこと。今でもそうだが婿となる男は女性側の父親に認められると言うことが必要だったようだ。
これについては本書では冒頭で紹介された北条政子についての結婚の逸話が紹介されている。当初、北条時政は娘を平家一門の平兼隆と結婚を考えていたようだ、結婚の約束を取り付け婿を迎えに言っている間、源頼朝が娘と恋愛し、子供をもうけてしまった。(婿迎えにいくのにどんだけ長い時間がかかるんだよ!)一度は兼隆の家に入ったものの、その後頼朝と駆け落ちをしてしまい、時政もこの結婚を認める。ちなみに平兼隆は頼朝の挙兵で真っ先に討たれた。北条政子、実は先見の明があったか!
昔と言うと女性は親の定めた男と結婚するみたいなイメージがあるが、ここからわかるのは、親の決めた相手との結婚と、女性の自由意志による結婚があったってこと。こう言うのは面白いね。例えば夜這いのあるところは女性は年頃になると近くの小屋に住まわされ、夜這いによって子供ができると女性から指定された男と結婚するって聞いたけど、これも女性による自由意志だよね。 江戸時代以前の習慣てのは読めば読むほどほんと今と違って面白い。
本書によるとこの時期は氏制度と家制度が混ざったような感じで、例えば違う氏間で結婚しても家が持つ名字は変わるが氏としての名前は変わらない。自分の出身を死ぬまで意識すると言う感じで、死んだらたとえ夫婦だったとしても元の氏の墓に埋葬される。
財産の分与についても 家が成立しつつあるときは女性側にも財産の権限はあったみたいだが、他家に行った女性が裁判で財産の分与を求め、財産が他家に流出するようになってくると家の嫡男が継承していくと言う方向になっていったみたいだ。
さてその財産だが何をもって財産だったのだろう?お金もそうだが、先祖が残した日記や文書などだそうだ、それらは政務の場における儀式作法などの参考とするため。政務での文書を自分の家のものとして継承してくらしい。そしてあの事はこの家の日記に書いてあると・・・この家自体がリファレンスとして機能し、そう言う家の格ができてくる。
そこに家の格をあげるために貴族が目を付けたのが「芸能」定家の和歌の家、藤原定能(さだよし)の郢曲(えいきょく)の家、藤原基家の鷹の家、世尊寺流の能書の家など、、官位、官職の昇進をはやめる高める手段の1つだったらしい。
色々と面白かった
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