arcanum_jp’s blog

おっさんの日記

「中世ヨーロッパの生活」田舎生活の理想郷だねこれ

中世ヨーロッパの生活 (文庫クセジュ (590))

中世ヨーロッパの生活 (文庫クセジュ (590))


近くの蔦屋に行くたびに気になっていた本。中世か・・・中世と言うとアレクサンドル・デュマが三銃士を発表したのは1844年、この本で出てくる話はあとがきにある通り13世紀〜14世紀あたりの話でそれよりも400年ほど前である。何を言いたいかって言うと、自分がこの本を取った時のイメージする中世からもっと前の事。今から見れば宗教に厳密な閉塞感があった世界なのだろうか・・・魔女裁判・・・おお怖い・・・なんか頭の中で際限なく想像しはじめる自分・・・

初版は1975年12月です。自分がまだ4歳で保育園にも通っていない時ですね、、当時のうっすらとした記憶はもう本当かどうか、あったのかすら分からない、確かめようも無い、そういう時代に出た本です。著者のジュヌヴィエーヴ・ドークールは不詳でありボルドー市図書館主席司書であったとも記載されている。ネットで人物名で調べても出てこない。原著は訳版より30年以上前のc年に刊行とある。昭和19年と言うと現実味が少しは増してくる。日本はで戦争中ですね。そんなさ中、出版された本です。

内容については、本の紹介にある通りです。フランスを中心にした中世の生活を書いています。

おもに十三〜十四世紀のフランスを中心とするヨーロッパ中世期の人びとの生活を、衣服、食事、住居といった生活の具体的な側面に光をあてて描き、彼らがその誕生から死にいたるあいだ、物質的な貧しさと宗教的な安らぎのうちにどのような生涯を送ったかを浮き彫りにする。

まず、中世と言う言葉について、初めに定義が書かれていますが、西暦500〜1500年頃で先ほど書いたアレクサンドル・デュマが生きていたあたりは既に中世ではないのですね・・・ちなみに三銃士の時代設定は1600年代なので中世が終わったあたりとなります。と言う事は時代背景が微妙ながら三銃士のダルタニャンなどはこの本で描かれていた生活を行っていた事になります。一つ利口になりました。本書の内容はいくつかカテゴリに分けられており、1章は中世の生活における必要なモノについて、そして、2章は日々生活する上での行事など、3章は生まれてから死ぬまでの生活一般を書いています。


本を読むにあたり、何の知識もなく読むと、出てくる言葉やモノの名前を知らず、困惑します。興味本位で買った本なので当たり前ですが・・・本を読みながら言葉をネットを平行して調べる・・・のような作業が必要です。例えば「ブレ」これは男性の服らしいのですが、言葉からはどんな衣服なのかサッパリ想像できません。ネットで調べて昔のズボンの事なんだなと分かる。こんな感じで読むのがちょっと苦労しました。本を読みながら疑問に思った語句を後から調べる、またはタブレット片手に読みながら調べる事が必要です。でもネット片手に読んで行けば知る事はできると思えばいい時代です。


本書を読んで思うのは、あとがきにあったこの文の通り、

 幸せが、生活の快適さに拠るのであれば、中世に生きた私たちの祖先は、現代人よりも不幸せであったとしんじられよう。だが、もし幸せが、生と対峙する態度に拠るのであれば、超俗世的な信念をもっていたその時代の人びとは、現代人以上に、幸福感、控え目にみえても内的な安らぎと心の安定に接していたと考えることができるのである。

この文章は本当に最後に書かれているのであるが、本を読んできて色々と感じながらこの文章を読んだ時に、あぁ、ほんとその通りだなと思わされる。中世の生活は今の生活と異なり、物質的に足りる事はない。だけれども、生活が心身を強くし、心は宗教(主に修道院)が主導し、豊かにしていたと言える。この本ではその修道院が示す行動規範により人々は理想郷の人達のように穏やかに住んでいたと感じる事ができる。


読むと感じるのは「貧しい人」が生きる権利を持っていた、周囲に生かされていた事だ。刈り取りの後の落穂ひろい、藁の刈り取り、それらを初めに行う事ができ、医者にかかった時も宗教的な理由によりお金を免除された。死に直面すればそれらを収容する施設が金持ちなどの寄付から運営されており、死んだ時でさえそれまで高利貸しから借りていた借金はチャラになり、持っていた財産自体は相続人に引き継がれた。高貴な人達は宗教的な理由により、貧しい人、病んだ人を助ける事が高貴な事だとされた逸話が残っている。

コミュニティの中で住むってことは貧困に喘いでいなくともいつなんどきその立場になるか分からないのでそういう規範は守られたって事だろうか。一つ言えるのは修道院が人間の人生については来世により救われるというのが広められており、それらが人々の希望となり、規範を守る原動力になっていたのだろう。現代より他人に優しい世界だったと感じる。


中でも面白いなぁと感じたのはギルドの存在である。ギルドと言うと職人集団、日本で言う工芸を作っている人達で弟子には技は盗んで覚えろ勝手に育て!去る者追わず、と言うイメージが自分はあったけど、本書によるとギルド内で親方は、弟子を(面倒が見れる限界を考慮し)一人か二人持つ事ができ、2度までは逃げても親方が探す責任を負っていたし、探せなかったとしても戻ってくる期間(1年とか)はほかの弟子を取れない。そうして親方が子に対して優しさと良い待遇をするように仕向けられたというのだ。なんと日本人から見れば理想郷か!!(笑)ギルドは職種ごとの集団を表すほかに人を育てるという役目も負っていたのですね。


色々と今とは異なる生活習慣など知る事ができて面白い本でした。(章だてが長すぎてどこで一旦やめようか・・・となりましたがww)

きりたんキーホルダー・その2

きりたん誕生日が2/13とのことで、先日から書き忘れていたのをアップします。

こちらの続きです。

先日急遽作ったこのクリスマスプレゼントですが、カミさん的にも子ども的にもあまり芳しくなかったようで意気消沈している私、あるかなむです。しかしながらこれをみてムッスメのお友達が「私も欲しい!」と言ってくれたようで、捨てる神あれば拾う神ありです。早速検討してみましょう。

http://d.hatena.ne.jp/arcanum_jp/20180127/1517061098

前回きりたんのキーホルダーは残念ながら外に出せる代物ではないのでお蔵入りですが、サンプルとして鞄にいつも入れています。たまに見てニヤニヤしてます。この辺が趣味クリエイターの楽しみですね。「自分が作ったもの」が楽しくてたまらない。こんな風に持っていたりします。見せる機会があればいいのですが・・・orz...


さて、前回の半生を踏まえ、再度いくつか作ってみたのがこれ。


前回の失敗は、単純に白黒(黒と鏡)アクリルの張り合わせを行った所、上に盛ったレジンが硬化する前に下に貫通してしまったというのが問題です。硬化できなったレジンがキーホルダーの下の面を汚染してベタベタしてしまった。なので、下に2mmの台座となるものの上に同じように白黒(黒と鏡)のアクリルを貼り合わせたものをつけてみました。これにより厚みはアクリル(2mm+2mm)とレジン(1mm)で5mmとなりちょっと太くなってしまいましたが。

また、レジンがキーホルダーからはみ出したという失敗もあり、それに対しては、キーホルダーの周り1mmを囲む枠を作り、それらはレジンを盛る場所より1mm高くすることではみ出しがなくなるのではと言う試作です。下のオレンジの部分が3mmの板を切った部分、白い部分は2mmを切った部分です。これで、2mmの板の上にレジンを載せても3mmの板が1mmの壁を作るのではみだしは防ぐことができます。

さて、こんな感じです。

これはレジンにスワロフスキーを埋め込んでみました。キラキラ光ります


枠を作ったものは、下地2mm、枠3mmで5mmの太さがあります。結構太いですね。

ちなみに枠は間違えて半透明紫で作ってしまったため、切った瞬間は間違えた!と思ったのですが、付けてみて怪我の功名、紫の反射がとてもいいです。


おまけ。枠を切った時に、内部がもったいないのできりたん切り抜きしておきました。転んでもただでは起きませんwこれも強度が足りなさそうなのでもうちょっと工夫が必要ですね。あと、レーザーの出力が合っていないので、表面が溶けている部分があります。この辺も次の改良点です。


ガブリくんキーホルダー試作品

先日作ったきりたんのキーホルダー、満足のいく出来栄えではないけど、結構気に入っている。

これに対して、ガブリくん、

えぇ、作れますとも・・・と言う事で・・・これがとりあえずデータ作った版。

これだと切った部品が小さすぎて大変なので、切り絵風に切った部品が大きくなるようにデータを作り直します。こんな風にデータを簡略化していきます。ちなみにグリッドは1mmです。

で、作ってみました。黒のベースの上に鏡仕上げのアクリルと黒ではめ込みます。ネガとポジのように2つ作れます。部品をはめ込んだ後は、レジンを載せて硬化させます。いいですね。レジンは硬化した後の触り心地がいいし、ピカピカになるので好き。とりあえず出しました。作業としては

 ・データ作成:1〜2時間程度
 ・切り:ベース約1分(2枚分)/絵柄:約10分(2枚)
 ・レジン作業:5分程度


Fablabでの作業は時間貸しなのでどうしても駆け足で作業をしてしまいがちになります。よく見ると、①の部分がなにやら鏡じゃなくなっていますね。②の部分は大丈夫みたいです。これ、アクリル接着剤が鏡風のアクリルの裏側をダメにしているみたいですね。これは今後の課題です。あとところどころ気泡が出来てしまった・・・k悲しいがこれはどうしようもない・・・


こういったものであればキーホルダーなどの試作品作りますよ。お気軽にご連絡ください。

きりたんキーホルダーおよび、娘の頼まれごと

トップ画像は今回のとは関係ないです。レーザーカッターを使い始めた初期の作品、ムッスメが持ってきたので記念にパシャリと写しました。

先日急遽作ったこのクリスマスプレゼントですが、カミさん的にも子ども的にもあまり芳しくなかったようで意気消沈している私、あるかなむです。しかしながらこれをみてムッスメのお友達が「私も欲しい!」と言ってくれたようで、捨てる神あれば拾う神ありです。早速検討してみましょう。

子どもたちはゲームなど自分の思い思いのものをサンタさんに頼んだようですが、そうだ!自分の作ったものもプレゼントしてやろう!そう思いついたのが23日の朝、そして急遽、こんなのをイラレで描いて仕事前にFabLab仙台に持って行って切ったのでした。いやあ、、朝からパソコンしてて家族の冷たい目を回避しつつ。

http://d.hatena.ne.jp/arcanum_jp/20171224/1514086428

さて、でもこういう事が続くと嬉しい反面、自分のお財布にも優しくなく、なおかつ版権的に危険な香りがするため、ムッスメには今回だけだよ!と念を押しています。ではなぜ作る気になったか?と言うと、またずん子です。レーザーカッターで単純な彫りを中心にしたキーホルダーも作るのもどうかなと思い、色が異なるアクリル板を貼り合わせた感じにすれば面白いのが出来るんじゃないの?って事でした。その実験台としてムッスメのお友達に作ってあげればって事になりました。

こんな感じに彫りは一切無く、切りだけのデータを作ります。これ、アクリル板で白黒で2枚切って、部品を交換しあって作品にします。

使うアクリル板は先日失敗してしまったものなんかを使えばお財布には優しいです。こうなっちゃいます。ずん子・・・すまぬな・・・


あとは肝心のずん子のデータです。いいですね。今回は線を単純化してきりたんと分かるぐらいにしました。ここまでしないと部品が多すぎてわかんなくなるしね・・・

さて、Fablab仙台で切ってきます。そして出来たのがこちら。Fablab仙台は時間貸しでレーザーカッター、UVプリンター、3Dプリンタ、CNCモデラなどの高額な機器などおいそれと買えないものはもちろん、ドライバーやノギス、カッターなど日常的なツールも貸してくれます。今回はレーザーカッターのHAJIMEとUVライトを貸してもらいました。

Fablab SENDAI FLAT
http://fablabsendai-flat.com


ムッスメには今回限りだよと伝えましたが・・・いや、こんな作業もう勘弁だよ!ってなりました。部品の大きさが小さすぎて老眼来た自分にはもう見えないし、手はプルプル震えて組み立てられないし・・・もうね、自分で作り始めておきながら、何度ちゃぶ台ひっくり返して辞めようかとおもましたよ・・・

さて、作ってみた反省点ですが、アクリルを貼り合わせた後に接着剤をどう付けるか?って問題が浮き上がりますね・・・最後はもうめんどくさくなって上からアクリル接着剤をビュビューーって流し込みましたが、あぁ、予想通り接着剤で溶けたアクリル部分が汚くなってしまいましたね・・・こりゃダメだ・・・

でもまぁこれでもあげるそうで・・・こんな包装してました。かわいいなぁ・・・。キーホルダー自身は自分で買ってね・・・

さて、きりたんの方はモノはこんな風に切っていますが上で書いた接着方法についてどうするかとなっています。・・・(ペンディング

レジンで接着!

考えた末、レジンで接着しちゃえば良いのです。と言う事で作ってみました。硬化の関係上、ちょっと指紋が付いたりして残念になってしまいましたが・・・


この極悪そうなきりたん結構気に入っています。

さて、いい事ばかりではありません。裏側が凄い事になっていました。これ、レジンが硬化する前に溝を伝って反対側に落ちちゃったのですね、、、これはダメだ・・・問題ありありっすね・・・どうしたものか・・・



あぁ!極悪きりたん、、、レジンが汚くはみ出している・・・



二つ作って貼り付けてしまえばいいと言う神の啓示が下りてきましたが、、、それはもう今度ですね。あと、細かすぎる部品がいくつかあり、その辺はデータをもう一回修正する必要がありそうです。では現場からは以上です。

家にレーザーカッターとUVライト欲しい・・・

「経営者が知らない 人材不足解消法 (経営者新書)」を読んだ

経営者が知らない 人材不足解消法 (経営者新書)

経営者が知らない 人材不足解消法 (経営者新書)

もうね、本屋で何読もうかと思いつつ適当に買った本。僕はなぜこんな本を買ったのでしょうか・・・経営者でもないのに・・・


読んだ感想としては、従業員目線で言うと正直至極当たり前のことが書いてある。読んでて眠そうになったし、どうしてこんな事を金出してまで読まなくてはならないのか・・・過去の僕よ、どうしてこの本を買ったのか?と思いつつ通勤中の電車の中で悶絶した。下っ端が当り前のって思うぐらいのなんで偉い人が出来ないのさ?って疑問で一杯になるのよ。読んでて。


この本は中小企業の経営者を読者層としているが、大体社長と数人の従業員から事業展開して大きくなっていく会社(その中で人材採用、従業員の成果などに悩んでいる経営者)をターゲットにしているのだと感じた。大体従業員数にして10人から20人規模の会社でしょうか。いわゆる社長がみんなの顔、正確を知っているという会社です。


そういった会社の経営者はもともと自分で何でも出来るスーパーマンでありだからこそ起業して経営者になった。何でも出来なきゃ生きて来れなかった、またお客様にもその人個人のキャラクターで持っているようなものなのだろう。そう言ったとびぬけた人には下々の気持ちなどは分からないし、あれこれと雇った人に期待してしまうのだろうと。そして幻滅し悩む。


著書の中で気になった点は「人材」「教育」「非公式なコミュニケーション」です。どれも仕事をしていて当たり前な事だよなぁと思ってしまう事です。


例えば人材採用については著者は「冷蔵庫の食材」を例にしています。食事を作ろうとスーパーに行き食材を買うのは良いのですが、献立を決めておかないとアレコレと無駄なものを買ってしまいがちですし何よりまず冷蔵庫の中身を把握しておかなくてはなりません。それと同じように、企業が何をしたいか?を精査し、自社でその分野で必要な人材はいないのか?いないならどのような能力の人材が必要か?まで定義していないとイケないといいます。ただ単に挨拶がてら良い人いない?だったり、何でもできるスーパーマンを求めてはいけないのです。


ね?至極当たり前でしょ?せっかく人材を採用するのだからあれもこれも出来る、任せたい、いやその人材にいくらお金かけるつもりですか!そのような人材であればとっくの昔に自分で起業しています。またせっかく採用した人材についても希望通りの成果が出ないと嘆く。これについては教育が必要と説いています。


全体的に著者が言いたい事は従業員を自分の子供を育てるように扱えって事です。すべては経営者が自社にとってどういう人材が必要かその定義を行い、その人材になるように段階的なレベルを優先順位を作って階段を上がるように従業員を導いていく、また従業員は一人の人間であるため経営者と同じ考えではありません。その人材のやり方を含め、多様な価値観を受け入れていく必要がある。


その活動の中では従業員との非公式なコミュニケーション、例えばタバコルームでの何気ない会話、一緒に食事した中での会話など従業員の話を聞くだけの情報収集が必要であったり従業員の仕事がし易いような環境整備であったり、これについては例えばバイトでできる単純作業なんかはマニュアル作って作業を無くしてしまうなどの仕事内容の精査が必要って事です。


これ、従業員目線でこの経営者を見たら、親そのものじゃないの?って事。受容する母親役と課題を解決していく父親役が求められるって事でしょう。ごめん、初めに至極当たり前すぎて眠くなったって書いてしまったけど俺この時点でこんなに出来てねえわ・・・って思ってしまった・・・子どもと同レベルで喧嘩して父親役も満足に出来てないのに母親役まで・・・すげぇな経営者・・・


本自体は二時間もあれば読めるので、経営者じゃなくても読んで参考になる部分は多いと思います。至極当たり前のことが書いてあると言う事は、逆に至極あたりまえの事をすれば良い事が起こりますよ?と言う事です。昔仕事は結局ABCが大事って言葉が合った事を思い出した

A:当たり前の事を
B:馬鹿にせず
C:ちゃんとする

「知立国家 イスラエル (文春新書)」を読んだ

知立国家 イスラエル (文春新書)

知立国家 イスラエル (文春新書)

本屋に行ってアレコレ読みたい本を探すわけですけど、30分も本屋をウロウロしているともう疲れるんですよね、、なので、目についた本をつかんで購入してしまうってパターンが増えてくる。これもそのパターン。昔のジャケ買いとも違う何か。ジャケ買いは少なくとも「このCDには何か僕を引き付けるものがある!」って希望があって買うのですが本の場合はそれが無い。

イスラエルってどんな国だろう、最近Twitterでちょっと話題になっていたが、今はこういう国。



グーグルマップやストリートビューでも首都エルサレムあたりは風景が見れますが、砂漠とボロボロの石の建物など、雨なんかも降らなそうです。また先のツイートで見るように治安も悪そうです。このツイートの背景には”2016年に非番で非武装イスラエル兵士が襲撃され殺害される事件があり、それ以降非番の兵士に外出時の武装を命じている”と言うのがあるそうです。国民全員(男女とも)に兵役の義務がある国です。日本人からしてみればこんな物騒な国がどうして知立国家と言えるのでしょうか?


実は我々の日常生活でも大変お世話になっているモノが多く、例えばグールでお世話になるグーグルサジェストなんかはグーグルのイスラエル研究所で作られたそうだ。パソコンが持つCPUでもインテルのCPUであれば8割はイスラエルの研究所で設計、製造されているという。ファイアーウォールや監視カメラの不審者だけを切り出すフィルタなど結構イスラエルが関わっているのは多いという。アメリカの投資家が絶賛し、アメリカの企業がイスラエルに研究所を作り、イスラエルの技術者の頭脳を活用する。


イスラエルは1948年建国の若い国で、四国ほどの面積に現在900万人も満たない人口ですが、一人あたりのGDPで336.6千ドル、日本が37.4千ドルで日本の25位に次いで26位だそうです。日本の1/10の人口にも満たない国が日本に次ぐGDPなのですね。ものすごいです。自分は子供の頃から日本は世界の中でも小さく資源もない国でと言われてきましたがそれ以上に小さい国なのですね。その小さな国が日本に次いでのGDPを出すにはどんなことをしているのでしょうか?


読んでみて感じたのは、著者のイスラエル熱のすごい事。イスラエルと言うと、アメリカが大人の事情で作った国とかユダヤ人が集まった国といった、変なイメージがあったけど、著者によるとイスラエルとは、世界中で迫害を受け続けてきたユダヤ教の人達が迫害を受けづけるのではなく、今のエルサレムパレスチナ)に集まろうとするシオニズムと言う運動の結果、建国した国で、国民の根底には「存続していくこと」があると言う。つまり、生き抜いていくこととだという。


国民の構成は建国以来移民を大量に受け付けてきたため、他民族国家ともいえます。ただし、アメリカのような多種多様な民族、宗教ではなくユダヤ教であれば移民として受け入れてもらえると言う性格上、国民の殆どは基本的にユダヤ教です。そういう部分でアメリカとは少し異なる人種のるつぼ、となっています。


著者はイスラエルの強さは個人にあり人材であると言います。迫害されてきたユダヤ人たちにとっては金そのものよりも、教育こそが資産である、そのために個を大事にし、突出させると。それは移民の子どもであっても教える「問題に対する解決策を考え出す力」と言う事で、「自主性・自立の精神」(p88)だと。教育の理念がしっかりしているのですね。


それら個人の強さ、世界中での活躍を輩出するのが著者が言う、イスラエルエコシステムと言うもので、まずユダヤ人は自由な議論を好み幼少期から徹底的に「なぜ?」の問いを続けるよう教育されると言います、勉強ではなく個人が学問を行う素地を作るのですね。そして国存続のため行う兵役で若者に大きな権限を与え、自立を促す。大義に尽くすことを知る、また仲間と苦難を乗り越えると言うものです。


それで兵役を終えた若者たちはどうするか?本書によると一年から二年ほどお金を貯めたあとそのお金を元に各国に旅行し、また戻ってきて大学に行くなり、起業するといいます。自分の目で世界を見てきて自分の道を決めるわけですね。羨ましいです。



著者曰く、ユダヤ人たちは迫害があってもユダヤ人たちのネットワークを通じてなんとか逃れてきたわけですが、それまでの教育により個人としては突出した能力を得て、兵役を通じ一生もののとも言える人的ネットワークを得る。と言う事でしょうか。優秀な頭脳、そして問題を解決する力で起業をし、そのネットワークは最大の資産となる。それらのネットワークは大義があるからこそであり、単なる貸し借りのドライなものではないと言います。


こういった、人材が大事であり移民を多く受け入れ、子どもには厚く教育をと言う面があり、その結果、世界にプロダクトと言う面でイノベーションを起こす。物をゼロから作り出すことができ、それを基に商売をする。また隣国を圧倒する国防、そういった部分は先日読んだ「通商国家カルタゴ」を思わせるものがある。まさに、2000年の時を経て、再度カナンの地に戻ってきたフェニキア人(人種は違えど)みたいな感じがする。

  • シオニズムによりカナンの地に集結し、建国
  • 建国以来の目的は存続すること
  • 存続のため国防が大事で国防にエリートを集約させる必要がある。
  • イスラエルは個人の能力を大事にする
  • 迫害されてきたユダヤ人達にとって教育こそが資産
  • 子供には移民も含め自立する教育を行う
  • 自立は徴兵により大義も含め若者に刷り込まれる
  • 兵役で得た人的ネットワーク

といったところか。

著者は、先のイスラエルのシステムを踏まえ、日本に対する提言を行っている。イスラエル人は問題を見つけ、解決策を自ら考え実行して作り出すというのは得意だが、それを大きなプロダクトとすることは得意ではないという。そこに日本として協業できる分野があるのでは?と著者は言う。日本人は0から1を作り出すのは得意ではなくとも、1を10にするという部分は得意であると。イスラエルのエコシステムなど参考となるにしても単純には日本には導入できないでしょう。なので、お互いに得意な部分を提供し合えば良いと。

まぁ、自分の生活圏ではイスラエルは特につながりは無いだろうしこれからも遠い国だろうけど、結構面白い本だった。


興亡の世界史 通商国家カルタゴ (講談社学術文庫)

興亡の世界史 通商国家カルタゴ (講談社学術文庫)

確信犯的に平謝りして間違い指摘され号泣

今日驚いたことがちょっとあって、久しぶりに近況を書いてみたいと思った。昔はこういうの結構書いていたような気がする。ツラツラと・・・


発端はこれ。

平謝りって、もう平身低頭謝ることだよね・・と思いながら読んだんだけど、元ツイートの内容では「謝らない事」を言うのだそうだ!ええ?なんと!

その辺から続いて、確信犯と号泣について出てきた。



ん?確信犯って犯罪と知りつつ行う事で、号泣は声を大にして泣くことじゃないかな?と思いつつググってみる。

号泣

ほらほら、、すがすがしすぎる、大声をあげて泣くこと。分かりやすい。

こうだろ?

ちなみにこれは僕のLINEスタンプの「CROSSBREEDOO 雑種犬の一日」です。キモイでしょw買ってね
https://store.line.me/stickershop/product/1127929/ja

確信犯

だろ!知っててする犯罪・・・え?信念を持ってと言うのが前提となんの?知らなかった!

( ゚Д゚)

なるほど確信犯ってのはそういう前提条件が抜け落ちて、犯罪と分かってするという部分だけが残ってしまったんだなと、、、じゃぁ号泣は今はどういう意味となっているのだろう。ググってみる。

Q「声を押し殺して号泣していた」という言い方は、おかしいのでしょうか。

A「号泣」は「大きな声を出して泣き叫ぶ」というのが本来の意味です。声を上げずに涙を大量に流しているような状況で使われることが増えていますが、これには違和感を覚える人も多いので、注意しましょう。

https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/133.html

ま、真逆じゃん!号泣は大の大人が周りなんか気にせずにもう激しく泣くことがアイデンティティじゃん?ひとめ気にしちゃだめだよ!って思い調べていくと既に号泣の意味とは声を押し殺して泣くことの方がアンケートでは多いそうだ。知らなかった・・・そうか、映画見て号泣しちまった!と言うツイートはいつも、すげーな、映画館で号泣ししまったのか!って関心していたのだが、実は逆でみんなに知られないように声を押し殺して泣いた!と解釈するのが正しいのか・・・

文化庁ではこの辺の事情を以下で説明しています。

このように「号泣」の意味するところの範囲が拡大して用いられるようになったのは,週刊誌やテレビ番組などが,誰かの激しく泣く様子を,声の有無にかかわらず,「号泣」と表現し始め,それが,次第に,一般にも広がっていったのではないかと思われます。激しく泣いたり,大泣きしたりすることを表すのに,ふさわしい熟語がほかにないことなども関係しているのかもしれません。

http://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_04/series_10/series_10.html

たしかに、激しく泣くという行為には言葉が無いですね、メソメソ泣くでもないし、、、

”20代の数値が接近しているのを除いては,どの年代でも「激しく泣く」を選んだ人の割合が明らかに多くなっています。”ともあり、この傾向は既にすべての世代になってしまっているって事ですね。試しに現場にいる若い人たちにちょっと聞いてみましたが、まさに、号泣とは(大の大人が声を出して泣くわけにもいかず)声を押し殺して泣くこと、と言っていました。

20代が接近しているのは真面目に勉強してきた世代だから、本来の意味を知っていたにすぎず、ただ周りはそう考えていないと言うのを表しているんだろうなと感じました。にしても自分の40代も号泣は声を押し殺して泣くものなのか・・・と声を押し殺して泣きそうになりました。号泣

言葉や日本語の読みなんかは時代によって変わってくるので(例えば早急とか重複とか上げればきりがない)どちらが正解だろう、と言うのは無いのだろうけど、Twitterで面白い事聞いたなぁ、勉強になったという日だった。


PS.追記

何人かに号泣について聞いた所、次のような傾向があった。


自分の気持ち、周りに配慮してる場合、号泣は「声を押し殺して泣く」と答える傾向にある

「号」と言う字がついているという事で号泣は「大声で泣く」と答える傾向にある

自分は単に号泣=大声で泣くと覚えていただけでした。ついている漢字でその意味を推し量るというのも面白いと思いました。