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おっさんの日記

ずん子、きりたん、タコ姉、マジック定規作成

今回はこちらの続きです。

懐かしいですね。こういったのはスーパーカー定規として子供の頃売ってましたね。検索すると結構出てきます。

スーパーカー定規の画像検索結果

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E5%AE%9A%E8%A6%8F&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwivraeZnN_ZAhXCHpQKHVMSCcYQ_AUICigB&biw=1708&bih=820#imgrc=xWJ1KCc9QZbX4M:
子どもの頃なんかのオマケでもらったような気がします。上下で鉛筆でなぞるとあら不思議、車が浮かび上がるのですよね。これやってみますかね。と言う事でデータ。まず全体像としてはこんな感じ

http://d.hatena.ne.jp/arcanum_jp/20180310/1520660591


こういったのは「マジック定規」と言う商品みたいです。自分は子どもの頃、スーパーカーのマジック定規はよく買ったりした覚えがありますが検索すると結構なキャラクターもののマジック定規が売っていたのですね・・・知りませんでした。しかしスーパーカーと言うのも非常に懐かしい表現ですね、80年代前後でしょうか、自分が小学校に上がるあたりだと思います。今だとスポーティカーでしょうか・・・

さて今回は、前回に作ったきりたんの定規のアップデートと、新しくずん子とタコ姉の絵も追加したいと思います。今回気を付けたのは、切りの線が長いとアクリル板が弱くなり折れそうになってしまうため、あまりにも長い線は2つに分割するという事でしょうか。





では実際に切ったものをこちらに

こちらは時間があまって切っているもの

ずん子さんはなんか見えづらいですね・・・よく見ると、鉛筆で〇が描いてあったりしますが、これは切った後に試し描きとしてボールペンで描いたときに難儀があった場所です。笑顔きりたんは右側が部材が足りなくなって中央のガイド溝が見えません。これは痛いですね・・・


こちらがシャープペンで描いた場合。先ほどボールペンで描いたときに難儀があった場所は難なく描く事ができました。でもあそこ近辺が改善点でしょうか。

また、前回ご紹介したマジック定規にヨッシーのマジック定規がありましたが、これのように、フレームの中にキャラクターがいるような絵にすると、定規左右のガイドとなる曲線がいらなくなるので良いなと思いました。描いたあとあの線が微妙に嫌なんですよね・・そのためには絵が描けるようにならねばいけないのですが・・・



試作品ですが原価以下で販売しております。購入していただけると今後の作品作成の原資になります。よろしくお願いします。レーザーカッターレンタルと部材でお父さんの財布はカラッカラなのです・・・orz...
また、自分の作品をマジック定規で作ってみたいという方も歓迎します。

BOOTH arcanum_jpの商品一覧

https://arcanumjp.booth.pm/

きりたん定規作成

さて、ツイッター上でこういうの見かけました。

グーグルで検索しているとこんなのも見かけました。

懐かしいですね。こういったのはスーパーカー定規として子供の頃売ってましたね。検索すると結構出てきます。

スーパーカー定規の画像検索結果

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E5%AE%9A%E8%A6%8F&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwivraeZnN_ZAhXCHpQKHVMSCcYQ_AUICigB&biw=1708&bih=820#imgrc=xWJ1KCc9QZbX4M:

子どもの頃なんかのオマケでもらったような気がします。上下で鉛筆でなぞるとあら不思議、車が浮かび上がるのですよね。これやってみますかね。と言う事でデータ。まず全体像としてはこんな感じ



これを上下に分割して切ってきます。こんな感じです。

さてこれで実際に描いてみます。カキカキ・・・

これがこうなります(関係上2枚描いてしまいました)


次へ向けて


作ってみて、レーザーカッターはそれこそ0.1mmの切りもできますが、そこにペンが刺せるかというと別問題なわけです。大体1mmが限界ではと思いつつ作ってみました案の定、この辺は使ってみて溝はあれど鉛筆(かなり細く削ったものやシャープペン)が刺さらない(なぞって描けない)のです。この辺は初めに紹介したツイートのように、線の端は丸くする必要があるのかなと。

あと、今回は1mmのアクリルを使ったのですが、切りの線のために板が弱くなっていますね。当たり前だけど。塩ビで作りたいんだけど、施設のレーザーはプラ系はアクリルオンリーなので、これはどうしようもないなぁ・・・それか2mmのアクリル使いますかな?


本番は次週なのでもうちょっとデータを変更して再度出力してみます。(つづく)

東北三姉妹、ずん子、きりたん、タコ姉のしおりの制作

どうも、これの続きです。実はレーザーカッターを借りると1時間単位になってしまうので、2時間とか借りると結構余ってしまう事があります。その時間を利用してこんなものを作ってみました。

先日急遽作ったこのクリスマスプレゼントですが、カミさん的にも子ども的にもあまり芳しくなかったようで意気消沈している私、あるかなむです。しかしながらこれをみてムッスメのお友達が「私も欲しい!」と言ってくれたようで、捨てる神あれば拾う神ありです。早速検討してみましょう。

http://d.hatena.ne.jp/arcanum_jp/20180127/1517061098
ずん子しおり

本をよく読むのでしおりです。切り絵にしてみました。材料自身は100円ショップなので気楽に切れます。アクリルの高さとはけた違いだ・・・(でも施設利用料が高いので・・・)

これをちょっと沢山作ってみました。


これは切った時点で失敗してしまったものです。データの作りがまだまだ甘いですね。


これを台紙に接着して終わりです。なんだ簡単じゃねぇか!(怒)

ん?


んーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!タコ姉!!


これをノリで接着していきますが結構これが曲者ですね。切り絵の裏側にスプレーノリをシュっと吹きかけて台紙を貼り付けて完成・・・一見簡単ですが、間違うとスプレーした時に床部分に付いたノリが台紙に付いてしまってベタベタします。これもっと気軽に作るには冶具が必要ですね。こういうの。


これもレーザーカッターで作るしかないのですが・・・どうしよう。

「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を読んだ。絶望の中の希望

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち


東ロボくんの愛称で有名なAIプロジェクトの新井紀子先生の本。本書が出る前にもさんざ、東ロボくんの記事でおみかけして面白いなと思っていたが、本が出たので早速アマゾンでポチって読んだ。


1章から2章は東ロボくんのテスト戦略を含めた現在実用化されているAI技術と社会での実例。三章は全国で行った基礎読解力テストの内容から浮かび上がった問題、つまり本書のタイトルにある教科書が読めてないということ。そして四章がAIが仕事を代替していく(奪うと言ってもいい)中で起きるであろう社会変化。その中で教科書を読めない人材はどのようになっていくか?また、生き残るためには。


AIによる東大試験突破については、目的が東大合格ではなく、AIには何が出来て何が出来ないか?を洗い出すこと。その過程のなかで、実は中高生が文章が読めてないという現実が浮かび上がってきたということ。AIによる受験については実は本書で指摘されるようにMARCHレベルであれば合格ラインには来ているがAIは試験の文章を読んで理解し答えを出していたか?と言われるとそうじゃなく、あらかじめ覚えさせたキーワードと統計による回答である。ある程度の偏差値まではこのキーワードと統計による方法でできるが、それ以上は超えられない壁がある。それが本書でたびたび言われる「読解力」であるというもの。


AIは意味を理解しない。本書でAIに対する評価として何度か出てくるがこの本のキーワードであると感じた。AIは意味を理解する事が出来ない。そのため文章を読んで意味を理解し、行動するという作業は今のところ人間にしか出来ない。しかしながら先に指摘されたように中高生は文章が読めていないと言うのが判明した。


中高生が読めていないという事は、今まで同じような教育を受けてきた今の我々でさえ怪しくなってくると言うもの。AIが社会に浸透していくとき、キーワードと統計でできるような仕事はAIに代替されていくが、それは今の労働者もが対象となるわけで、日本人全体の危機ともいえる。


そのときAIと同じような質の労働者は「同じような労働者たちの中で、AIに代替されるより安い賃金の仕事を求めるか」「AIが出来ない仕事に就くか」でしかない。その時に生きるのが「読解力」であるというもの。なにしろ何をするにしても文章を読んで理解し、行動するというのが求められるのだから。


AIは社会から仕事を奪うが、その時人間はより創造的な仕事をする、と言う人もいるけど、自分はこれには懐疑的だった。工場にロボットが導入されたときに工場に勤めていた人が解雇されていった時と同じようにあくまでAIは経営者などが経済活動をする上で助けになる、生産性をあげる道具でしかないよねって感じていて、その時に恩恵を受けられるのは先の経営者であるし、その人達が生産性が上がった分、創造的な仕事をするに過ぎない。その時に仕事を奪われた人は何をするのだろうって。今まで社長の秘書をやって来た人がAIに仕事を奪われたあと突然創造的な仕事をしはじめるのかって?人が出来る事は過去にしてきた事の延長に過ぎないから突然違う事は出来ないよね。身に付いていない行動は出来ない。


読んでいて感じたのは、よく日本の労働者は優秀だが経営者が無能と言われるように(ソースなしだが検索すれば見つかるよね)現場の教師はよくやっているのだろう。著書でもRSTを受けた教師が自前でRSTについて勉強し、学力を上げた所も書いてある。これなどは昔、日本の工場で行われていたQC活動と同じだろう。経営者側ではなく労働者による自発的な活動が成果を上げたと言う事。


その中で子どもたちが教科書が読めないという現実だがこれは、著者がAIの説明の中でAIは設計者のフレームを超えていくことは出来ない旨言っているように、今の日本の教育が教科書が読めなくてもやっていけるようなフレームだという事でしょう。その中で動く子どもたちは問題(学習)に対しフレームに最適化された解を探し行動する。本書で言えば文章の意味も分からずともテストの点が上がる行動が評価され、強化される。


日本の政策などが世界中で行われている研究などから科学的に決められていない、世界中で失敗したと言われる政策をわざわざ行おうとしているという著者の嘆きを最近読んだ本でも見てきたが、本書でも中央教育審議会の今までの長年の無策を批判するように教育関連だけに言えば長期で行う方針を決められる人材がいない(多分誰も決定が出来ない、権限がない)また、戦略として政策が科学的に決められていないというのが問題の本質なのだろう。子どもらは何も悪くはない。当たり前だがその政策が続いてきたからそのフレームを超える政策を考えられる人材も排出できない。「失敗の本質」もそうだったが、雰囲気による支配と失敗に対する反省と対策が出来ないって戦後いつまで続くんだろうねって絶望感すら覚える


この本を読んでいて以前に読んだ「わかったつもり?読解力がつかない本当の原因? (光文社新書)」を何度も思い出した。この本では文章を理解すると言うことは文脈に従って自身の持つ知識(スキーマ)を発動しながら理解するという感覚になるという事。子どもたちは文脈を理解しつつどこかで誤読をしていると言うことだろうか。それとも文脈から理解するための知識が足り無いと言うことだろうかと。でもこれも本書に従えば、文書を理解するための文脈を知らずともやっていけるという現実があるのだろう。


読んでいてAIと言う今流行のキーワードで数学者の視点から現実的な路線が描かれていて、なおかつ、文章はとても引き込まれるし面白く読む事ができたが、同時に著者の考える最悪のシナリオには怖くすらなった。自分の子供だけには読解力をつけさせたいがどうしたらいいだろう?そう思いながら読んだ。



わかったつもり?読解力がつかない本当の原因? (光文社新書)

わかったつもり?読解力がつかない本当の原因? (光文社新書)

「学力」の経済学

「学力」の経済学

「原因と結果」の経済学―――データから真実を見抜く思考法

「原因と結果」の経済学―――データから真実を見抜く思考法

マシュマロ・テスト:成功する子・しない子

マシュマロ・テスト:成功する子・しない子

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

「中世ヨーロッパの生活」田舎生活の理想郷だねこれ

中世ヨーロッパの生活 (文庫クセジュ (590))

中世ヨーロッパの生活 (文庫クセジュ (590))


近くの蔦屋に行くたびに気になっていた本。中世か・・・中世と言うとアレクサンドル・デュマが三銃士を発表したのは1844年、この本で出てくる話はあとがきにある通り13世紀〜14世紀あたりの話でそれよりも400年ほど前である。何を言いたいかって言うと、自分がこの本を取った時のイメージする中世からもっと前の事。今から見れば宗教に厳密な閉塞感があった世界なのだろうか・・・魔女裁判・・・おお怖い・・・なんか頭の中で際限なく想像しはじめる自分・・・

初版は1975年12月です。自分がまだ4歳で保育園にも通っていない時ですね、、当時のうっすらとした記憶はもう本当かどうか、あったのかすら分からない、確かめようも無い、そういう時代に出た本です。著者のジュヌヴィエーヴ・ドークールは不詳でありボルドー市図書館主席司書であったとも記載されている。ネットで人物名で調べても出てこない。原著は訳版より30年以上前のc年に刊行とある。昭和19年と言うと現実味が少しは増してくる。日本はで戦争中ですね。そんなさ中、出版された本です。

内容については、本の紹介にある通りです。フランスを中心にした中世の生活を書いています。

おもに十三〜十四世紀のフランスを中心とするヨーロッパ中世期の人びとの生活を、衣服、食事、住居といった生活の具体的な側面に光をあてて描き、彼らがその誕生から死にいたるあいだ、物質的な貧しさと宗教的な安らぎのうちにどのような生涯を送ったかを浮き彫りにする。

まず、中世と言う言葉について、初めに定義が書かれていますが、西暦500〜1500年頃で先ほど書いたアレクサンドル・デュマが生きていたあたりは既に中世ではないのですね・・・ちなみに三銃士の時代設定は1600年代なので中世が終わったあたりとなります。と言う事は時代背景が微妙ながら三銃士のダルタニャンなどはこの本で描かれていた生活を行っていた事になります。一つ利口になりました。本書の内容はいくつかカテゴリに分けられており、1章は中世の生活における必要なモノについて、そして、2章は日々生活する上での行事など、3章は生まれてから死ぬまでの生活一般を書いています。


本を読むにあたり、何の知識もなく読むと、出てくる言葉やモノの名前を知らず、困惑します。興味本位で買った本なので当たり前ですが・・・本を読みながら言葉をネットを平行して調べる・・・のような作業が必要です。例えば「ブレ」これは男性の服らしいのですが、言葉からはどんな衣服なのかサッパリ想像できません。ネットで調べて昔のズボンの事なんだなと分かる。こんな感じで読むのがちょっと苦労しました。本を読みながら疑問に思った語句を後から調べる、またはタブレット片手に読みながら調べる事が必要です。でもネット片手に読んで行けば知る事はできると思えばいい時代です。


本書を読んで思うのは、あとがきにあったこの文の通り、

 幸せが、生活の快適さに拠るのであれば、中世に生きた私たちの祖先は、現代人よりも不幸せであったとしんじられよう。だが、もし幸せが、生と対峙する態度に拠るのであれば、超俗世的な信念をもっていたその時代の人びとは、現代人以上に、幸福感、控え目にみえても内的な安らぎと心の安定に接していたと考えることができるのである。

この文章は本当に最後に書かれているのであるが、本を読んできて色々と感じながらこの文章を読んだ時に、あぁ、ほんとその通りだなと思わされる。中世の生活は今の生活と異なり、物質的に足りる事はない。だけれども、生活が心身を強くし、心は宗教(主に修道院)が主導し、豊かにしていたと言える。この本ではその修道院が示す行動規範により人々は理想郷の人達のように穏やかに住んでいたと感じる事ができる。


読むと感じるのは「貧しい人」が生きる権利を持っていた、周囲に生かされていた事だ。刈り取りの後の落穂ひろい、藁の刈り取り、それらを初めに行う事ができ、医者にかかった時も宗教的な理由によりお金を免除された。死に直面すればそれらを収容する施設が金持ちなどの寄付から運営されており、死んだ時でさえそれまで高利貸しから借りていた借金はチャラになり、持っていた財産自体は相続人に引き継がれた。高貴な人達は宗教的な理由により、貧しい人、病んだ人を助ける事が高貴な事だとされた逸話が残っている。

コミュニティの中で住むってことは貧困に喘いでいなくともいつなんどきその立場になるか分からないのでそういう規範は守られたって事だろうか。一つ言えるのは修道院が人間の人生については来世により救われるというのが広められており、それらが人々の希望となり、規範を守る原動力になっていたのだろう。現代より他人に優しい世界だったと感じる。


中でも面白いなぁと感じたのはギルドの存在である。ギルドと言うと職人集団、日本で言う工芸を作っている人達で弟子には技は盗んで覚えろ勝手に育て!去る者追わず、と言うイメージが自分はあったけど、本書によるとギルド内で親方は、弟子を(面倒が見れる限界を考慮し)一人か二人持つ事ができ、2度までは逃げても親方が探す責任を負っていたし、探せなかったとしても戻ってくる期間(1年とか)はほかの弟子を取れない。そうして親方が子に対して優しさと良い待遇をするように仕向けられたというのだ。なんと日本人から見れば理想郷か!!(笑)ギルドは職種ごとの集団を表すほかに人を育てるという役目も負っていたのですね。


色々と今とは異なる生活習慣など知る事ができて面白い本でした。(章だてが長すぎてどこで一旦やめようか・・・となりましたがww)

きりたんキーホルダー・その2

きりたん誕生日が2/13とのことで、先日から書き忘れていたのをアップします。

こちらの続きです。

先日急遽作ったこのクリスマスプレゼントですが、カミさん的にも子ども的にもあまり芳しくなかったようで意気消沈している私、あるかなむです。しかしながらこれをみてムッスメのお友達が「私も欲しい!」と言ってくれたようで、捨てる神あれば拾う神ありです。早速検討してみましょう。

http://d.hatena.ne.jp/arcanum_jp/20180127/1517061098

前回きりたんのキーホルダーは残念ながら外に出せる代物ではないのでお蔵入りですが、サンプルとして鞄にいつも入れています。たまに見てニヤニヤしてます。この辺が趣味クリエイターの楽しみですね。「自分が作ったもの」が楽しくてたまらない。こんな風に持っていたりします。見せる機会があればいいのですが・・・orz...


さて、前回の半生を踏まえ、再度いくつか作ってみたのがこれ。


前回の失敗は、単純に白黒(黒と鏡)アクリルの張り合わせを行った所、上に盛ったレジンが硬化する前に下に貫通してしまったというのが問題です。硬化できなったレジンがキーホルダーの下の面を汚染してベタベタしてしまった。なので、下に2mmの台座となるものの上に同じように白黒(黒と鏡)のアクリルを貼り合わせたものをつけてみました。これにより厚みはアクリル(2mm+2mm)とレジン(1mm)で5mmとなりちょっと太くなってしまいましたが。

また、レジンがキーホルダーからはみ出したという失敗もあり、それに対しては、キーホルダーの周り1mmを囲む枠を作り、それらはレジンを盛る場所より1mm高くすることではみ出しがなくなるのではと言う試作です。下のオレンジの部分が3mmの板を切った部分、白い部分は2mmを切った部分です。これで、2mmの板の上にレジンを載せても3mmの板が1mmの壁を作るのではみだしは防ぐことができます。

さて、こんな感じです。

これはレジンにスワロフスキーを埋め込んでみました。キラキラ光ります


枠を作ったものは、下地2mm、枠3mmで5mmの太さがあります。結構太いですね。

ちなみに枠は間違えて半透明紫で作ってしまったため、切った瞬間は間違えた!と思ったのですが、付けてみて怪我の功名、紫の反射がとてもいいです。


おまけ。枠を切った時に、内部がもったいないのできりたん切り抜きしておきました。転んでもただでは起きませんwこれも強度が足りなさそうなのでもうちょっと工夫が必要ですね。あと、レーザーの出力が合っていないので、表面が溶けている部分があります。この辺も次の改良点です。


ガブリくんキーホルダー試作品

先日作ったきりたんのキーホルダー、満足のいく出来栄えではないけど、結構気に入っている。

これに対して、ガブリくん、

えぇ、作れますとも・・・と言う事で・・・これがとりあえずデータ作った版。

これだと切った部品が小さすぎて大変なので、切り絵風に切った部品が大きくなるようにデータを作り直します。こんな風にデータを簡略化していきます。ちなみにグリッドは1mmです。

で、作ってみました。黒のベースの上に鏡仕上げのアクリルと黒ではめ込みます。ネガとポジのように2つ作れます。部品をはめ込んだ後は、レジンを載せて硬化させます。いいですね。レジンは硬化した後の触り心地がいいし、ピカピカになるので好き。とりあえず出しました。作業としては

 ・データ作成:1〜2時間程度
 ・切り:ベース約1分(2枚分)/絵柄:約10分(2枚)
 ・レジン作業:5分程度


Fablabでの作業は時間貸しなのでどうしても駆け足で作業をしてしまいがちになります。よく見ると、①の部分がなにやら鏡じゃなくなっていますね。②の部分は大丈夫みたいです。これ、アクリル接着剤が鏡風のアクリルの裏側をダメにしているみたいですね。これは今後の課題です。あとところどころ気泡が出来てしまった・・・k悲しいがこれはどうしようもない・・・


こういったものであればキーホルダーなどの試作品作りますよ。お気軽にご連絡ください。