日本史リブレット:蝦夷の地と古代国家
蝦夷(えぞ)かぁ、、そうすると古代国家が北海道に進出した話かな?とふと本の題名を読みジャケット買い。結構内容も確かめずに買います。内容確かめ始めると選んじゃうので。「蝦夷」と書いて「えみし」と読み、古代日本の東北南部から北にいた人たちと当時の日本にあった国家、倭国の話。
古代日本において倭国が成立し、王国以外の人々について、九州地方の熊襲、隼人と同じく文化的に異なる人たちを化外(けがい)の民と呼び、東北にいた人々はひとかげらに蝦夷(えみし)と呼んでいた。
蝦夷と言うと蘇我蝦夷を思い出すが、そういえばなぜ蘇我蝦夷は名前に蝦夷なんてのつけたのだろう?ってふと思ったが、蝦夷の精強な印象を良いイメージとして借用、だそうだ。
『日本書紀』では蘇我蝦夷、通称は豊浦大臣(とゆらのおおおみ)。『上宮聖徳法王帝説』では「蘇我豊浦毛人」。蝦夷の精強な印象を良いイメージとして借用した名前である(小野毛人や佐伯今毛人、鴨蝦夷らも「えみし」を名として使用している)。蝦夷は蔑称であり、毛人が本名との説があるが「蝦夷」も「毛人」も同じ対象を指す。
本書にも書いてあるが蝦夷の由来とは、中国の華夷思想(中華とそれ以外と区別し、差別することと王権による徳知思想による運営及び周辺国家の懐柔)の影響を受け文化的に異なる人々を表す「夷」に、蝦夷特有の毛深さ、そしてエビのような長いヒゲといった特徴から当時、エビを表す「蝦」をつけたという。また、狩猟を生業とし、馬を用いた弓が得意、戦闘能力にも優れ、長年中央政府軍を苦しめてきたとあり、なるほど、こいつぁぁ強いぞ!って良い意味で蝦夷を蔑称としてつけるのもうなづける。
その蝦夷、今では「えぞ」と読んだりしてるように、倭国により北方に追いやられて北海道(蝦夷/えぞ)に行きアイヌとなったと言う風に自然に考えそうだが実は逆で、弥生時代以降、もともと北海道にいた人たちが続縄文文化の次に擦文文化を作りあげるが、十分に擦文文化が育つ前あたりに本州に渡ってきたと今では考えられているそうな。
北海道から渡ってきて縄文期の狩猟を中心とした縄文時代の生活しながら南進しているうちに弥生文化以降にコメを作りつつ家にカマドがあって圧倒的な文化的超便利生活をしている倭国の住民に出会ってしまったと言うわけ。
女「ねぇねぇ、うづもカマドちゅぅやづを作ってくんろ?」
男「カマドだ?あっただもんいらん、、いままでの外でええでねが」
女「だってさ、わのひどら、うづんながにあってしょぐづもうづでつぐれで超便利だべ?って言ってたさ」
男「いやいやわごくはうづらのてぎだがら、、」
女「となりももうカマドつぐってもらったけよ?うづだけだよ?あんだのかいしょうなす!もう知らんけね!!」
男「あぁ、、わかったわかった、つぐっがら!カマドつぐっがら!」
みたいな会話があったかどうかは知らん。
東北も広いので倭の王国の人たちは蝦夷と読んでいたが、倭国と接した東北南部と東北北部では文化的にも交り具合が異なり当然蝦夷の文化も違いがあると本書では言う。なので東方にすんでいた蝦夷が皆自分たちは仲間だと思っていたかと言う事はなく、東北南部から北部を見れば田舎もんだし、北部から南部を見れば倭国の奴らになっていたんだろうね
本書でも書いているが実は蝦夷と言うのはその北海道の続縄文文化、擦文文化と倭国の文化の影響を受けながら両者の交流の拠点的な立ち位置だったと言う。なので宗教は今までのもので倭国からもたらされたカマド、土師器、須恵器などの便利グッズを使いつつ生活していた。拠点というのは美味しい果実なわけで倭国はどうやってこの野蛮人たちを征服していくか、というのが本書の後半
倭国が蝦夷征服を本格化させるのは大化の改新後で、評(こおり、と読み郡の前身となる)の制定により中央の国司による地方の管理になり豪族の力が弱められたが蝦夷に対しては 基本的には柵(き、と読む)の設置による軍事制圧と個別の蝦夷集団に対する懐柔策が主となる。おお!マンガ天智と天武でBLばっかやっていた記憶があるが、史実としてはBL以外の事してたんだな中大兄皇子(違!)
柵と書いてしまうと中国の万里の長城みたいな蛮族が登って来れないような壁を東北に延々と作るのかなと感じてしまうが、1km四方ぐらいの土地を柵(き)で囲みその中に役所的な国司が活動する場所?や兵、関東からの移民(柵戸と言う)を入れて生活する。実は柵は城の意味で、要するに征服する地に城を作ってしまうと言うもの。
自分の今住む地域でも多賀城と同時期に大崎(旧古川)、牡鹿、東松島などかなり広範囲に柵が作られており大規模な蝦夷支配の足掛かりになっていたようだと本書では語る。ただ、柵は軍事施設でもあり、蝦夷との交流の場でもあったといい、そこに蝦夷が朝貢すれば便利グッズや文化的な便利な情報、名をもらえ倭国の一員として帰化できた。また城には柵戸(きのへ)と呼ばれる移住者がいたから蝦夷はその人たちと雑居し、交わっていったという。
ふと読んでて感じたんだけど倭国の民というのはもともと朝鮮半島渡来系の人たちの末裔なわけで、その人たちが日本全国に散らばり文化的に征服していくって図は、インドのカーストの成立を思わせる。古代アーリア人がインドの土着民族であるドラヴィダ人を征服し、宗教として身分を作り社会を固定する。
日本の場合は華夷思想もあり軍事行動もあったが懐柔も使いやや文化的に征服していったし倭国の便利な部分は蝦夷も受け入れていったという事だろう。古代中国の華夷思想が夷狄を征伐するオンリーだったらと思うとゾッとするね。
ものすごく面白い本だった。自分実はこの時代が面白いのかもしれんねと。
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パスケースの刻印
Fablab仙台でやっていたこちらが自分には刺さり、やってみたいなと思っていた。ちょうど子供がコロナの影響で休校中なので親もお互いに休み合う必要があり、休日にやることもないしと言うことでやってみました。
ちょうどパスケースがダメになってきており、じゃぁパスケースでやってみようかなと。これも以前作った自作でminneで売ったところ全然売れなかったので自分で使う事にしたもの。実はこれ、黒い三つ葉の付け根にLEDが施されており、駅の改札でピッとかざすと光るのです。NFCに反応する微弱電波を電源に光るLEDが仕込まれています。楽しいかなと思ったのですが、、、
和柄で模様を作ったらたら楽しいかと思い、以前作っていた和柄から「矢絣(やがすり)」がいいなと。自分この柄が好きですね。これを彫ります。
レーザーの彫刻パワーは50%ほどに上げたのですがいいように溝が深くならず2度彫りしています。2度目は65%ほど。HAJIMEでは1度じゃ無理ですね。元記事になっているものはトロテックであれは結構深く彫れます。彫っている間、これ3Dプリンタで作ったら良かったんじゃね?という謎の言葉が聞こえましたが。。。
2度彫りでだいたい5mmぐらいでしょうか。本当は1mmまで行きたかったのですが、、次にやるときにもうちょっと考えましょう。彫刻していない部分が刻印を押すぶぶんとなります。
材料となるパスケースはムサシの革コーナーで売っていた1000円のものです。
これを革部分を水で湿らせてこんな風にクランプで押します。
裏側には何も彫っていない単なる板があります。よく見ると右側のクランプがひん曲がってました、、、
1日ぐらいしたらクランプを外し見てみます。あぁ、、押したところは絵柄が出てますが離れると模様がないですね、、予想通りでした。
記事にあるように全体的に押す必要がありましたね、今回のアクリルで大丈夫かと思っていましたが、、、ここは道具もないので次は工夫する必要がありますね。
あとよく見ると押された部分がテラテラになっていてちょっとかっこ悪い、、ここも改善が必要あります。
総評、反省
施設の人と話してて、多分だけど下のように丸で囲んだ部分、押した上に細い線が浮かびあがるようなのは難しいんじゃないか?って事でしたが、以外と出ていたこと。
- 押した部分がテラテラになるので、広い面積の押す部分を作らない
- 全体は難しいので部分部分で押すパーツを作って数回に分けて作業する
でしょうか。本来なら縫い合わせる前に刻印するのでしょうけど、以前革のコースター作ったときにロウ引きの糸に困らされて二度とやるもんか!ってなったので既製品でどれだけできるかをやってみました。明日からこのパスケースは使ってみたいと思います。刻印がいつまであるかの実証実験ですね。
では。ものづくりは楽しいです。
みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 市場最大のITプロジェクト「3度目の正直」を読んだ
タイトル長いよ・・・
Twitterで話題になっていたので読んでみた。1章、2章でいかに馬鹿デカイシステムかわかるし、そう言うのメンテするだけで大変だろうなぁと言う感じはする。それに巨大な銀行が統合されていった後だ。システム移行で話題になり揶揄されたりもしてたけど、こりゃ大変だわ、、と言う感想。
途中、社長などのプロジェクトは大変だったが結果として大成功とか提灯記事だなぁと眠くなってきたけど第7章からは障害の詳細と検証、そして対策などが語られるが、この辺は自分がいる業種の事のため大変面白く読めた。対策(の1つ)として語られているのが新たに作ったデータフロー図を中心にして行うプロセス。まぁそれらは昔からABC(当たり前のことを馬鹿になってちゃんとやる)と言われるもので初心に帰るって事なんだろう。ABC大事
蘇をつくりました。
コロナの影響で子供がまさかの休校、、、それで親たちは代わる代わる休んだり半ドンで帰ってきたり。そんななか蘇と言うのがネット上で話題になっていたようで。。。
これ、蘇って醍醐味の元になったやつなのでは!醍醐味、、、本来の醍醐味を味わえるのか?1000年前の失われた味!貴族しか食べられなかった味!
と思ってちょっと調べたら、、、
濃厚な味わいとほのかな甘味を持った液汁とされ
とあり、蘇の味と醍醐味自身は関係が無いのだなと。これ読むと蘇自身がレアチーズみたいなもんだと。
グーグルで「蘇」でググろうとすると販売なんかもレコメンドされるのですね、、いままで失われた味なのだ!と思っていたものは実は普通に売られているものだった、、、下は「蘇 販売」でググって適当に開いたやつ
で、上のトゥギャッター通り、作ってみました。
原材料:牛乳
これだけです。これをテフロン加工のフライパンにいれて煮詰めます。こんな感じでフライパンにダバーっといれ、煮ていきます。牛乳は普通に買ってきたものです。賞味期限近くで安くなっていたのがあったのでそれを買ってきました。
一時間ぐらいこんな感じです。微妙に少なくなっているけど、、、あーー後悔するわーー、、これ失敗したらカミさんにまた色々言われるなーーーとか思いながらかき混ぜます。ちょっとすくって舐めてみたのですが、、、クレマトップですね。
これ、1時間以上経った時ですがちょっとは少なくなってきたので水分が飛んでいることはわかります。でも「まだシャバシャバしてます、、、これほんとに蘇になんのか?気づいたのですが作業は鍋のヘリで固まったのをこそげ落として行くみたいな感じですかね?ヘリをこそげ落としながらフライパンの中央部で固まったのを撫でていく感じです。
フライパンの中央部に居座っていた焦げですが突然こんな風に取れてしまいました。これも食べてみましたがマイウーーでした
こうなってくるとあとは10分以内です
ここからが本当にびっくりするぐらい固まっていきます。最終的にはドーナツの記事ぐらいまで固まってきます。ここまでくるのにだいたい90分ぐらいかかります。
マッシュポテトほどに固まった蘇、少し食べてみると、甘みの無いミルクセーキ味のマッシュポテト。ミルクのギュっと詰まった味が感じられます。これを冷やして出来上がり
ネットで焼くとうまいとあったので焼いてみました。冷やす前はマッシュポテトぐらいでしたが、冷やしたらもうカントリーマームの硬さ。なので先ほどいれた容器から取り出すときちょっと苦労しました。
食べるともう甘みの無いミルクセーキそのものですね、カミさんはちょっと塩気が感じられると言っていました(僕は舌バカなのでそこまでは)娘に食べさせてみましたが、クッキーみたいで普通においしいとのこと。
普通においしい!なんと、、、1000年前の貴族はこれをうまいうまいと食べていたんだけど、今にしてみれば素朴な味でほっぺたが落ちるなんてことにはならず、、、現代の普通がいかに過去にはありえないうまさだったんだろうなぁと。
日本史リブレット、中世の家と性
軽く読めて以外と面白い日本の歴史についてのあれやこれやが手に入る日本史リブレット。まだまだ読んでます。
おお!中世の家についてと性のことか、、、セックスとかそう言う事情が語られるのかな?これは興味深い。。。
北条政子は生前は政子とは呼ばれてなかったそうな、しかも北条ともよばれていない。位階(功績のあるものや在官者に与えられる栄典の一種)を文書に書く必要性が生じ、父である北条時政から政を取ったそうな。子は当時、位を有している特別な女性のみが良い字に「子」を付けた名前を持つことができたので「政子」生きている間彼女が自身から政子と称したことはないと。
しかも北条を付けて呼ばれるのはここ最近、昭和以後だそうだ。なるほど、、、ん?ここから始まる北条政子のセックス事情か?中世のそう言う事情だな!そう言う事情だな!僕の心は踊る。
しかしその思いは辛くも崩れ去る。本書は中世の氏制度から家制度になる時期における貴族、庶民の性(ジェンダー)がどういう扱いを受けているか?についての本。えええ?あとは消化試合。。。
以下、面白いなぁと感じた物をツラツラと。
まず家についてだけど、江戸時代以降は特に家と言う単位が制度から色々な部分で意識されるようになったけど平安時代の中世はまだ家とい概念は成立しておらず、「氏」と言う単位で構成されていたようだ。これは族長を頂点とする血縁関係なく構成される集団として天皇に奉仕する組織。これが中世を経て、血縁を中心とした「家」制度へと変換していく。
結婚は基本的には女性側が男側の家に行き生活する形だったようだ。女性が男性側の家に行き、その後夫婦で別の家に移る。ただし、面白いのは結婚に際し主導権を握るのは女性側の親と言うこと。今でもそうだが婿となる男は女性側の父親に認められると言うことが必要だったようだ。
これについては本書では冒頭で紹介された北条政子についての結婚の逸話が紹介されている。当初、北条時政は娘を平家一門の平兼隆と結婚を考えていたようだ、結婚の約束を取り付け婿を迎えに言っている間、源頼朝が娘と恋愛し、子供をもうけてしまった。(婿迎えにいくのにどんだけ長い時間がかかるんだよ!)一度は兼隆の家に入ったものの、その後頼朝と駆け落ちをしてしまい、時政もこの結婚を認める。ちなみに平兼隆は頼朝の挙兵で真っ先に討たれた。北条政子、実は先見の明があったか!
昔と言うと女性は親の定めた男と結婚するみたいなイメージがあるが、ここからわかるのは、親の決めた相手との結婚と、女性の自由意志による結婚があったってこと。こう言うのは面白いね。例えば夜這いのあるところは女性は年頃になると近くの小屋に住まわされ、夜這いによって子供ができると女性から指定された男と結婚するって聞いたけど、これも女性による自由意志だよね。 江戸時代以前の習慣てのは読めば読むほどほんと今と違って面白い。
本書によるとこの時期は氏制度と家制度が混ざったような感じで、例えば違う氏間で結婚しても家が持つ名字は変わるが氏としての名前は変わらない。自分の出身を死ぬまで意識すると言う感じで、死んだらたとえ夫婦だったとしても元の氏の墓に埋葬される。
財産の分与についても 家が成立しつつあるときは女性側にも財産の権限はあったみたいだが、他家に行った女性が裁判で財産の分与を求め、財産が他家に流出するようになってくると家の嫡男が継承していくと言う方向になっていったみたいだ。
さてその財産だが何をもって財産だったのだろう?お金もそうだが、先祖が残した日記や文書などだそうだ、それらは政務の場における儀式作法などの参考とするため。政務での文書を自分の家のものとして継承してくらしい。そしてあの事はこの家の日記に書いてあると・・・この家自体がリファレンスとして機能し、そう言う家の格ができてくる。
そこに家の格をあげるために貴族が目を付けたのが「芸能」定家の和歌の家、藤原定能(さだよし)の郢曲(えいきょく)の家、藤原基家の鷹の家、世尊寺流の能書の家など、、官位、官職の昇進をはやめる高める手段の1つだったらしい。
色々と面白かった
Twitterでのノート
ヤーコンで切り干しヤーコン
ヤーコンってご存知でしょうか?
芋の種類みたいなんだけど食べてみるとものすごい甘い。大根の繊維がおおいような食感でWikiPediaに書いてる通り、ナシを食べたあとのように繊維質が口に残ります。野菜に砂糖でも入ってんじゃないか?って思うぐらいで見た目とのギャップで脳がバグります。生でも食べられますがあんまり好きじゃないんですよね、、
これ、たまにもらってくるんだけどいつも食べ方どうすればいいの?って思っていたんだけど、今回は、大根見たいな食感なんだから切り干し大根ならぬ切り干しヤーコンにしてしまえばいいのでは?と思いやってみました。
切り干し大根のように細長く切ってそれを寒風にさらして乾かします・・・あれ?乾かない、、大根みたくカラカラにならん・・・いくら乾かしても糖分がおおいのかベタっとした感じが残る・・・まぁでもこんな感じになりました。
これを人参と合わせて炒めて日本料理特有の出汁、ショーユ、お酒、みりんなんかで味を整えます。砂糖はいりません。本当は糸こんにゃくを使いたかったのですが子供が食べないと思われ苦肉の策できくらげ入れてみました。こんな感じになりました
口に含んだ瞬間、、う、、、甘い、、、(´・д・`)ヤダ ってなりました。。。砂糖いれてないのにこの甘さ、、、食感は切り干し大根ほどのゴリゴリ感は無いですが、うん、、これは切り干し大根(のような)料理だ、、(甘いけど、、、)
まぁでも、、ご飯と一緒にほうばると美味しかったです(矛盾してんぞ)