arcanum_jp’s blog

おっさんの日記

「まちの幸福論―コミュニティデザインから考える」を読んだ。グローバル化に生きるにはローカル化だとおもっている。

まちの幸福論 コミュニティデザインから考える

まちの幸福論 コミュニティデザインから考える

 ※書評じゃぁ、ありません。内容のまとめじゃありませんよ。内容を期待している人には読むだけ損な文章。

 世の中グローバル化って言われるけど、グローバル化ってのは先進国と途上国の賃金が平準化していく中で生きていくって事で、しかもそれは仕事が途上国に奪われながら生きていくってこと。一部のプラットフォームにでも特化してお金を吸い上げる仕組みを作るか、ゼロを一にするような「私が仕事作ります」的な事でもしていない限り常に自分より安い人間との競争が待っている。か弱いおじさんの僕には、生きていくことは無理ぽ・・・orz...


 そんななかで、ぼくはグローバル化に対抗するにはグローバル化で戦える体力を作る、、、技術とか、、、サービスとか、、、という考えではなく、実は自分の住んでいる、関わっているローカルな環境(ローカルな環境ってのは、住んでる町もそうだし、仕事仲間って意味でもそう、趣味、ネット上の仲間、様々なローカルがある)にあるんでないかい?っていつも考えていた。


 TwitterFacebookなどのSNSを見ていると「繋がり」って言うのは広がるけど結局はグループと言うローカルな所に集約していく。そんなか、いつものようにジュンク堂の閉店間際「あぁ、、、つぎ何を読もうか・・・」とかさまよっているときに著者の山崎亮さんと別の書籍で目があったのでつい買ってみた。


 まず著者の山崎さん。いい出会いが更なるいい仕事の出会いを作って行ってる。そう感じた。それ以上に著者の仕事への真剣さが大事なんだな。自分にも実は沢山あったんだろう。でも僕はそのどれにも応えることができずに終わっていたと思う。本書の中で強く感じたのは二章、P47で「元の生活に戻ることが、地域再生と言えるのか」で災害ががあったとき、地域が衰退していて過疎化が進行したとき、元にに戻すための過剰なハードウエアの提供が実は地域住民の心に重くのしかかるって言う事実。


 以前と同じ状態にするために人が沢山住んでいようが少数だけ住んでいようが、何億円も投資してハードウエア(道路とか建物とか)を作ってしまう現状。本当に前と同じ状態にするのが人にとっての幸せなのだろうかってこと。もしかしたらその場合もあるし、思い切って違う道を行くってのも選択肢の一つとして実はあるのではないか?ってこと。


 これ、なんかすごく重く感じたね。だって、今までは選択肢が一つしかないって言っているんだもん。何が何でも昔と同じ生活になるように基に戻す。そのためには巨費を投じてもいい。感情的には正しい!いい事した!って感じてしまうが、これって翻って日本の会社に当てはめてみると「何が何でも今までの品質を求める。そのためにはどんだけ工数かかっても品質だけは担保しろ」って言っているのと同じで、実はお客さんは別に品質なんか求めちゃいないとか思っていても「そうすればお客さんが付いてくれる」って思っているのと同じだから。


 どちらも未来の選択肢が一つしかないってのは同じ。先のグローバール化ってヤツがあって、それに対抗するために今までの品質、いやそれ以上の品質(赤字になってもかまわん!)おれたちゃそれしかないんだ!って戦いをしているのと同じでいつかは負けてしまう。多様性の無い社会は綱渡りじゃないかな。


 「デザイン」と言う言葉からだと僕は何かしら形のあるものを作るってイメージを持ってしまう。でも本書で言っているデザインはどちらかと言うと、「仕組み」のデザインであり目に見えない。公園などのハードもデザインするが、その場所を「どう使うか」というソフトをデザインする事により重きを置いている。


 その事により著者が本書で繰り返し述べられているように、まちの幸福にはその場所の住民達が「自分達が主導で」やることが大事であり、その住民達が自主性でハードを使うソフトウエアを考えていくように仕事をする。そのために著者はワークショップなどを行い、住民達の自主性が作られるよう種を蒔きその種が大きくなるよう動く。とても楽しい仕事だなと感じた。子育てにも似ている。



月3万円ビジネス

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