1981年に書かれた本、この手の本はだいたい本屋さんでさ迷っている時にタイトルみて面白そうだなとか興味ないけど強制的に目についたものを買うんだけどだいたい、初版がいつか?を見てから買う。なのでだいたいは1年〜2年ぐらい前に発売したものが主になる。でもこれ買う時うっかり忘れてしまい、買ってからえ?81年って・・・何年前よ・・・と後悔しながら読み始めた。
無気力の状態、無力感を味わっている状態なんだけど、無力感は環境など変えがたいもので苦痛を味わっている時に感じる。そのような状態が続くと変えられる状況であっても変えずに堪えるようになる。
その反対が効力感。自分は環境を変えることができるという気持ち。本書ではこの効力感の育て方についてアレコレと心理学の実験から分析する。
内容についてはよく子育てで言われるように「成功体験」が効力感を育てると言う。本書で面白いなと感じたのは、この成功体験さえ与えれ入れば人は皆効力感を感じ、やりがいを得る事ができるのか?と言えばそうでもなく、実はそのなかに失敗を織り交ぜ、その失敗自体は「能力ではなく努力がちょっと足りなかった」と言う事を思い込ませる事によって効力感は大きく得られると言う。
この本を読む前にTwitterでこんなツイート見ててなるほどなぁって思っていたんだけど、その本質がここにあるのだろう。
教育界ではよく『成功体験』が重視されているけれど、
— 先生、学校は行かなきゃいけないの?? (@namonakigakkou) March 23, 2019
それよりも大切なのは、「失敗しても大丈夫、なんとかなる、誰かが支えてくれると感じれる『失敗の安心体験』」。
自分が成功した時の喜びを強調するよりも、失敗したときの怖さを小さくする方が、人は新しいことにチャレンジする。
成功体験を与えるだけではダメってのは、与え続けると成功体験の価値が下がるって事だろうと。行動分析学でいうところの好子の飽和なんだろうと。学びの本質は失敗体験をした時にあり、失敗そのものが能力ではなく努力不足にあると思う事によって努力すれば良いと感じるはずで、諦めずに次の行動に移る理由ができ、次の行動をした際に成功する(好子の価値を下げずに得られる)、そうするとその行動自体が強化され効力感が得られる(努力すれば変えられると考えるようになる)
小さな成功体験の中に失敗のしやすさを提示すること(失敗させること)その時に、あなたの能力ではなく、もうちょっと頑張れればね?って言ってくれる環境。隣人、これが大事なんだろう。なんと言う釈迦の掌感、父性と母性の話だよねこれ。
ただ、なんでも失敗が努力不足と思わせれば良いかと言うとそうではなく、この辺は社会構造により異なる事は本書で指摘しています。本書では日本の社会構造とアメリカの社会構造に触れ、本書で参照している心理学実験はアメリカなどの能力主義(成果主義)な社会構造での実験であるため、もともと失敗の原因が能力不足にあると思わせる環境下にあって、失敗の原因を能力ではなく努力不足であると言う風に考えさせると効力感が増すと言うものだからです。一方、もともと努力信仰が強い日本の社会においては全てにおいて努力不足と言うのは危険であると言っています。
p46
とくに日本のようにもともと努力が尊重されている文化のなかにおいては、かえって危険でさえある”
本書全体で語られるのは、失敗の際に本人が「能力に不足があった」と思うか「努力が足りなかった」と思うかによって無力感を感じるか、効力感を感じるかが変わってくると言うこと。まぁ感覚でもわかると思うけど、能力がなくてダメって思ってしまったら自分を否定するわけだし努力する理由は絶たれてしまう。やるだけ無駄ってなるよね。
正直この手の本は何度となく読んだりしてるので、あぁあの実験か・・などおなじみに感じる実験があったり、まぁそうだよねぇといった感じはして新しいものはあんまり感じないのですが、81年に書かれている本書の内容がなんとなく今(2019年)の管理社会における人々の感情を言い当てているようで面白いなと思いました。